兼高かおるの家系図や経歴は?黒柳徹子との関係や出演番組は?死因についても




2019年1月5日(土)に女性旅行家のパイオニアで、草分け的存在の兼高かおるさんがお亡くなりになりました。

兼高かおるさんが生前、ご出演なさった番組の情報や家系図や経歴、徹子の部屋でお馴染みの黒柳徹子さんとの関係などまとめて紹介します。

兼高かおるさんならではの、ユニークな動物たちとの触れ合いや兼高かおるさんがなくなる原因となった死因などもお伝えします。

兼高かおるの家系図・経歴は?

兼高かおるさんの家系がすごい!!当時、戦後の日本でお嬢様学校や留学をされるなど、大変なお金持ちだったことがわかるエピソードがあります。

さらには、社会人になってからの経歴もとても凄すぎます!その家系と経歴をご紹介します。

「兼高かおる 無...」の画像検索結果

兼高かおる(本名・兼高ローズ)1928年2月29日兵庫県神戸市生まれ、父親はインド人で母親が日本人です。

1946年東京都品川区にある「香蘭女学校」卒業後1954年ロサンゼルス市立短期大学に留学。その後、記者としてジャパンタイムスなどで活躍します。

海外でおよそ150ヵ国で取材を行い、日本旅行作家協会名誉会長に就任しました。

1958年にはスカンジナビア航空が主催した「世界早回り」に参加し、73時間9分35秒という当時の記録を樹立。さらに、南極点に一般人として到達した女性のうちの一人です。

アメリカの申請許可は下りていたのですが、かおるという名前を男の名前だと思われていたため許可が下りたのです。しかし、当時は南極に渡ることは女性は許可されていなかったため、南極渡航直前にキャンセルとなってしまいました。

兼高さんは粘った末に1971年に許可が下り、南極に到達しました。一緒に到達した海外の女性と「1・2の3」で旗を握ったそうです。北極点には1989年4月に到達しました。

また、兼高さんはミクロネシアのマーシャル諸島に「カオル・エネ」という自分の島を所有しています。この島は兼高さんが現地の大酋長の相談に乗った際にもらったものだと言うことです。

ちなみに、カオルとは現地語で「美しい」と言う意味です。

兼高さんは旅行番組の中で、イギリスのチャールズ皇太子やジョン・F・ケネディ、さらにはサバドール・ダリにもお会いになっています

兼高かおるさんの受賞

・1967年文化庁芸術選奨新人賞受賞

・1980年日本女性放送者懇談会賞

・1985年外務大臣表彰受賞

・1985年淡路ワールドパーク内の兼高かおる旅の資料館名誉館長

・1986年横浜市の山下公園にある横浜人形の家館長就任(2006年5月30日まで後任に石坂浩二)

・1990年菊池寛賞受賞

・1991年文化庁芸術選奨文部大臣賞受賞

・1991年紫綬褒章受章

・2004年日本国際ツーリズム殿堂入り

兼高かおるは一生独身を貫いた

「兼高かおる 無...」の画像検索結果

死ぬまで独身を貫き、その理由は結婚することがわからないと言うことからだったそうです。

しかし、兼高さんは10代の頃に恋を経験しています。相手は中国の青年だったそうで、その彼に一緒に来てほしいと言われたそうなのですが、兼高さんの母親に駄目ですと言われて諦めてしまい、

黒柳徹子との関係・出演番組

徹子の部屋でお馴染みの黒柳徹子さんと兼高かおるさんの知られざる関係とは?そして、兼高さんのご出演なさった番組は?それらをご紹介します。

黒柳徹子とは香蘭女学校の先輩と後輩の関係で兼高が黒柳より5年先輩です。出演番組は、「兼高かおる 世界の旅」(TBS系)でナレーター・ディレクター・プロデューサーを兼務しました。

ちなみに、女優の大塚寧々さんや片桐はいりさんもこの学校の卒業生なんです。

番組は1959年から1990年まで放送されました。

2017年2月9日放送の徹子の部屋に兼高かおるさんがゲストとしてご出演なさっています。

黒柳さんは兼高さんが若い頃、黒柳さんが絶賛するほどの人気で美人だったとおっしゃっていました。

兼高かおる 世界の旅

「兼高かおる 無...」の画像検索結果

「兼高かおる 世界の旅」は1959年から1990年のおよそ31年間1586回にわたって放送された、TBS系の人気旅行番組です。

レポーター・ディレクター・プロデューサーの3役を一人でこなし、今とは異なる時代背景の中女性で旅行番組を敢行したのは彼女が初めてです。

まさに、黒柳さんがおっしゃる女性旅行ジャーナリストのパイオニアです。兼高さんは当時インタビューを受けた際に、こうおっしゃっています。

「外国、風景もですけど、外国の人たちはね、そのときに私たちは見られている立場です。見られているときに私は日本代表でございますので、特に女の代表です。

あの当時は私ども女は女のマナーと言うのがあって、それが外国には非常に優雅に見えたようです。外国を知って日本も知る。

日本を知って外国を知る。そういう両方をね、知っていくのが国際化なんですね」と。

兼高かおるさんの死因は?

若いころからお亡くなりになるまで大活躍した兼高かおるさん。その最後の死因と葬儀やお別れの会のことについて紹介します。

兼高さんは2019年1月5日20時45分、東京都港区の自宅でお亡くなりになりました。

兼高さんの死因は心不全で、年齢は90歳でした。

葬儀は近親者のみで執り行われ、お別れの会は行われる予定ですが、日程などは未定です。

全行程721万キロにも及ぶ旅行取材は遠く旅立った今でも、行われている気がします。

兼高かおるさんは戦後女性のパイオニアだった

1月5日にお亡くなりになられた旅行ジャーナリストのパイオニア・兼高かおるさん。

彼女は本当に旅行が大好きで、仕事と旅行の境目がないくらいに全力投球。その姿は子どもを見ているみたいでした。本当に無邪気でした。

さらに、番組の語り口調も良くて自分も旅行に行っているような気分にさせてくれます。本当に不思議な魅力を持った方でした。

亡くなられてしまったのは寂しいですが、今でもどこかで旅をしているのではないでしょうか。

そのくらい旅行が大好きな方だったので。講演会などで一度本人から直接お話を聴いてみたかったです。

その機会を逸してしまって残念です。心底そう思います。彼女は戦後の日本にいながらも独立精神が旺盛で、新島八重が幕末のジャンヌダルクなら、兼高かおるさんはまさに昭和・日本のジャンヌダルクです。

かわいらしさの中に凛とした強さも魅力です。兼高かおるさんの旅行番組「兼高かおる 世界の旅」がもう一度放送されないかなと期待してしまいます。

TBSさんお願いします。でも、話は変わりますが若いころの恋愛話は素敵ですね。

兼高さんが10代のころの恋だと言うことですが、なんだかロマンチックで映画みたいですね。ドキドキしてしまいました。

けれど、その後は独身を貫いたのですが、私見ですがその時の恋が忘れられずに死ぬまで独り身を貫いた気がします。

なんだか宝塚のベルサイユのばらのオスカルとアンドレみたいですね。オスカルは一度はアンドレ以外の別の男性と結婚していますが・・・。

でも、兼高さんは戦後に生まれてきた素敵な女性の一人です。素敵な作品を残していただいてありがとうございます。ご冥福をお祈りします。

関連記事一覧

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です