一万円札が諭吉じゃなくなる?新紙幣一万円札になる渋沢栄一とは?

元号が平成から令和になるまで、あと一か月を切りました。新時代の幕開け直前に、どこか華やいだ空気が日本を包む中、「現在使用されているお札のデザインが変わる」というびっくりなニュースが飛び込んできました!

私たちがいつも使用している一万円札・五千円札・千円札のデザインが一新され、新紙幣が誕生するようです!

まだ日本政府が正式に発表していないものの、すでに一万円札が「福沢諭吉から渋沢栄一に変わる」と報道されており、詳細が気になりますね。このページでは、新紙幣になる理由や、新しい一万円札の顔となる渋沢栄一氏について紹介します。

日本のお札が変わる!新一万円札になる渋沢栄一ってどんな人?

一万円札と言えば、福沢諭吉。そんな当たり前の常識が、平成が終わる直前に覆ろうとしています。

2019年4月9日に日付が変わったころ、一万円札のデザインが福沢諭吉氏から渋沢栄一氏に変わることが発表されました!

まだ日本政府からの公式発表ではありませんが、マスコミ各社が伝えているところをみると、間違いなさそうですね。

では、渋沢栄一氏とはどんな方なのでしょう?

資本主義の父・渋沢栄一の華麗なる経歴

マスコミ各社が伝えているところによれば、渋沢栄一氏は「日本の資本主義の父」と呼ばれる著名な人物だとか。それもそのはず、渋沢栄一氏の経歴を遡ると、たくさんの企業を作りたくさんの会社の経営に関わっているのです。

「渋沢栄一記念財団」が発表している年譜によれば、これだけの企業の設立・経営に関わっています。(※あくまで一部抜粋です)

渋沢栄一が関わった企業

明治6年 第一国立銀行開業

明治10年 択善会(東京銀行集会所)を設立

明治11年 東京商工会議所設立

明治13年 博愛社(今の日本赤十字)設立

明治16年 大阪紡績会社工場・落成

明治18年 日本郵船会社創立

明治18年 東京瓦斯会社(東京ガス)創立

明治20年 帝国ホテル設立

明治21年 札幌麦酒会社(サッポロビール)創立

明治34年 日本女子大学校開校

明治39年 東京電力会社創立

明治39年 京阪電気鉄道会社創立

明治40年 帝国劇場創立

一部を並べてみただけでも、この数。帝国劇場や帝国ホテルの創立の藻関わっており。「日本資本主義の父」と言われるのも頷けます。

この経歴から、これまでに何度も紙幣デザイン候補になっていたそう。満を持しての選出、ということになりますね。また、過去に千円札の最終候補になったことがあり、このお札は「お札と切手の博物館」に展示されているそうです。

参考サイト:https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/chrono.html

なぜ?尊王攘夷志士から徳川幕府に仕えた渋沢栄一

幾多の企業に関わり、名を残しただけでもすさまじい経歴ですが、渋沢栄一氏にはもうひとつ面白い経歴があります。

それは、尊王攘夷志士から徳川幕府の幕臣に転身していると言うこと。幕末ファンなら、これがどんなにびっくりなことか解るでしょう。

「尊王攘夷」について簡単に説明しましょう。「天皇を敬い外国を撃退する」という意味です。「尊王攘夷」という言葉が生まれた理由には、江戸時代末期の政治が深く関わっています。

渋沢栄一が目指した尊王攘夷志士について超簡単に説明

江戸時代の終わりごろ、日本に黒船という外国船がやってきたことを知っていますか?この黒船は、当時の徳川幕府に対し「開国しろ」と迫りました。で、外国を恐れた幕府は、圧力に負けて開国をしてしまったわけです。

これに一部の日本人は大激怒!「もう徳川幕府は嫌だ!天皇中心の世の中にして、外国人を追い払いたい!」と考える人たちが増えたのです、そのための活動をしたのが、「尊王攘夷志士」と呼ばれた人たちです。

つまり、徳川幕府にとって尊王攘夷志士は敵。あの新選組は、京都の町で悪さをしようとする尊王攘夷志士を取り締まっていました(細かく言うと、新選組も天皇を敬っていたことに変わりはありません。が、ここでは省略します)。

尊王攘夷志士になった渋沢栄一、一転幕臣へ

渋沢栄一氏は、16歳の時に「代官から理不尽な金の要求をされた」ということがきっかけで、尊王攘夷志士になります。尊王攘夷志士と言えば、長州(山口県)の人が多いのですが、彼は武蔵野国(埼玉県)の産まれでした。

「幕府はもうダメだ!腐った政治を辞めさせて、天皇中心の時代にするべきだ!」と憤った渋沢栄一氏。しかし、なかなか計画は上手くいかず…。しかも、尊王攘夷志士として渋沢氏本人の身が危うくなりました。

しかし、そんな渋沢栄一氏に運命的な出会いがやってきます。それは、平岡円四郎という人物との出会いでした。平岡氏は、一橋徳川家に仕える人物で、渋沢栄一氏に「一橋慶喜公に仕えてみないか?」と持ち掛けました。

徳川幕府を潰そうとしている渋沢氏ですから、簡単に承諾したわけではありません。が、「内側から徳川幕府を潰し、再建させるべき」という言葉に押され、慶喜公に仕えることを決めます。

この一橋慶喜公は、のちの将軍徳川慶喜公。徳川家最後の将軍となった人です。こうして渋沢栄一氏は、「尊王攘夷志士から幕臣になる」という異例の経歴の持ち主となったのです。

「人に歴史あり」と言いますが、ここまでの転身はすごいですね!ちなみに渋沢栄一氏は、もとは農民です。それが幕臣になったわけですから、とんでもない出世をしたことになります。

農民から幕臣と言うと、新選組の近藤勇もそうです。しかしその後の人生の違いをみると、幕末の無常さも感じますね。

五千円札は樋口一葉から津田梅子へ

五千円札は、現在の樋口一葉氏から津田梅子氏へと変更になります。千円札が樋口一葉になったとき、「津田梅子は?」という意見もあったようですが、今回はその津田梅子氏が五千円札に大抜擢です。

津田梅子氏は、「津田塾大学」という女子大を作った女性。彼女の経歴はなかなかに凄くて、あの「岩倉使節団」の一員であり、はじめてアメリカに行った女性です。

「岩倉使節団」とは、簡単に言えば「日本が不利な条約を結ばされているので、海外に交渉をはじめてみよう」という目的で作られた使節団。岩倉具視が団長だったので、「岩倉使節団」です。

女性が強く生きるアメリカを観た津田梅子氏は、日本に帰ってきたときに「女性の立場が男性に比べて低すぎる」ということに驚愕します。そこで、彼女は英語を筆頭に女性の教育に力を入れ、初の女子大(当時は津田塾という名称)を作りました。

余談ですが、「樋口一葉から津田梅子に変わる」というところに、平成の時代を象徴するようなものを感じます。

樋口一葉氏は裕福な家庭に生まれ育ったものの、「女性に学はいらない」という母親の考えで学びの場を失います。のちに家も没落してしまい、彼女は本当に苦労しながら小説を執筆しました。

樋口一葉氏の作品には、明治時代に生きる女性の悲しさ、辛さが鮮明に描かれています。

一方で津田梅子氏は、女性の立場を向上させるため、教育に力を入れた女性です。女性を強くするために、運命を変えようと立ち上がった女性なわけです。

昭和と平成では、女性の生き方や価値観が大きく変わりましたよね。運命を嘆いた樋口一葉から、運命を変えるために戦った津田梅子への変化は、女性の生き方が変わりつつあることへの象徴なのかもしれません。

※こちらの記事で、津田梅子氏が「梅ちゃん先生」のモデルになったと紹介しておりましたが、間違いでした。「梅ちゃん先生」のモデルになったのは、昭和に女医を目指した下村梅子氏です。

該当部分とタイトルを修正いたしました。申し訳ありませんでした。

千円札になるのは北里柴三郎!野口英世との意外な関係

千円札は、現在の野口英世氏から北里柴三郎氏へ変わるそう。

北里柴三郎氏は、「近代医学の父」と呼ばれるほど医療に貢献した人物で、主に細菌学の分野で能力を発揮しています。

特に有名なのが、「破傷風(はしょうふう)の原因となる、破傷風菌のみの培養に成功したこと」でしょう。

土壌に含まれる破傷風菌は、傷口から人の体に入ると人の体をけいれんさせてしまい、場合によっては死に至ることもある怖いものです。

この破傷風菌から人の体を守ったり、治療したりするには、破傷風菌のみを培養し、研究しなければならなかったそう。その破傷風菌の培養に成功したのが、北里柴三郎氏です。

実は、現在千円札となっている野口英世氏は北里柴三郎氏のお弟子さん。野口英世氏もまた細菌学の分野で活躍し、黄熱病や梅毒の研究に力を尽くしました。

また、現在一万円札にデザインされている福沢諭吉氏ともご縁があります。北里柴三郎氏が「伝染病を専門に研究できる研究所を作りたい」と国に訴えたとき、多くの人は耳を貸しませんでした。

しかし、北里柴三郎氏の話を聞き入れ、研究所を作るための土地を提供したのが福沢諭吉です。これにより、日本に初めて「伝染病専門の研究所」が誕生しました。

今の時代では当たり前の「公共衛生の重要性」を説いたのも、北里柴三郎氏です。現代の衛生環境を築くための、基礎を作った人物と言っていいでしょう。

※医療系の記述につき、以下のサイトの記述を参考にさせていただいております。

参考サイト:http://kiyoshi-clinic.com/hasyouhu   

http://www.jpma.or.jp/junior/kusurilabo/labo/1_history/detectors/kitasato/01.html

http://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005120223_00000

一万円札が諭吉ではなくなる理由は?デザインが変わるのはなぜ?

2019年4月9日現在、一万円札に印刷されているのは福沢諭吉です。

福沢諭吉は、日本国歌の独立や資本主義について書いた「学問のすすめ」の著書として有名な人物です。もう説明の必要もないくらいの偉人です…。

一万円札に印刷された福沢諭吉は、日本国民にとっても身近な存在となり、いつしかお金を諭吉に例えて語る文化もできたほど。「諭吉がとんでいく(お金がとんでいく)」などは、もうネットでお馴染みの用語になっていますよね。

日本国民にとって、「一万円札=福沢諭吉」というのは、非常に馴染みが深いもの。にもかかわらず、一万円札を福沢諭吉から別の人物に変えるのはどうしてなのでしょう?

答えは、「お札の偽造防止のため」。

長く同じお札を使い続けていると、どうしても偽造のレベルが上がってしまうそう。そのために、だいたい20年おきにお札のデザインを変えているそうです。

新しいお札が使用できるのはいつから?

まだはっきりと政府から発表されていないので、新しいお札がいつから使用できるのかははっきりしていません。

報道によれば、新しいお札が使えるのは2024年から。

これが本当であれば、もう少し諭吉のお札を使用できますね!新しいお札になると、古いお札はだんだんと減っていきます。いまのうちに現在のお札を取っておくといいかもしれません。

 

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