映画『人間失格』の見方が変わる太宰治の小説三作品と女性関係を史実の観点から解説!

蜷川実花さん監督の映画『人間失格』が、映画界を席巻中です!

太宰治の人生を作品と共に描いているこの映画は、主役の太宰治役に俳優・小栗旬さんを据え、太宰と関わった3人の女性を宮沢りえさん、沢尻エリカさん、二階堂ふみさんが演じる豪華な内容!

酒と女と薬物に溺れた太宰治は、筆を持てば「人間のむき出しの心」を誰よりも克明につづり、人々の共感を得ました。そんな太宰治の世界を、蜷川実花さんが色鮮やかに演出します。

映画『人間失格』は、太宰治の作品を知っているかどうかで見方が変わる作品です。

蜷川ワールドの旅立つ前に、知っておきたい本作に登場する3つの小説、太宰に関わる3人の女性について史実の観点から解説していきたいと思います!

目次

映画『人間失格』に登場する太宰治3小説&3人の女性を簡単に解説

蜷川実花さん監督の映画『人間失格』には、太宰治が執筆した3つの小説が出てきます。

いずれも、映画に出てくる3人の女性と深い縁のある作品です。

 
 
 
 
 
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#蜷川実花 監督が、写真とコメントをUP✨ #小栗旬 さん演じる太宰治、楽しみですね! #映画 #人間失格 #映画人間失格 監督のストーリーもチェックしてみてくださいね📷 —– Repost from @ninagawamika ふぅ、やっと言える❤️ ただ今、小栗旬くんと太宰治の人生を描いた「人間失格」を撮っています。 太宰治が人間失格を書くまでの物語です。 小栗太宰、やばいですよ! 本当に素晴らしいです。 毎日鳥肌。 やっと発表出来たので、ちょこちょこアップしますね❗️ 今日も撮影行ってきます🎬 #映画人間失格

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3つの小説とは、『ヴィヨンの妻』『斜陽』『人間失格』のこと。いずれも太宰の代表作であり、特に「人間失格」は今でも支持が高い作品です。

酒と色に溺れた生活をしていた太宰は、自身の小説に妻や愛人をよく登場させました。

『ヴィヨンの妻』は妻・津島美知子をモデルに、『斜陽』は愛人・太田静子の日記をもとにかいた小説。そして太宰が『人間失格』を書いたとき、彼と一緒に命を絶つ愛人・山崎富栄が傍らにいました。

発表された時期を並べると、こうなります。

  • 『ヴィヨンの妻』1947年3月(モデルが妻の津島美知子)
  • 『斜陽』1947年7~10月に連載、12月に本を出版(愛人・太田静子の日記が下地)
  • 『人間失格』1948年6~8月に連載・7月に本を出版(愛人・山崎富栄と深い関係の中書かれた)

1948年の6月、太宰は山崎富栄と自殺しているため、3本とも晩年の作品と言えます。

特に『人間失格』は、亡くなる年に書き上げた作品で、太宰の生涯を反映させていると指摘する人もいます(というか、そうとしか思えません……)。

※遺作にあたるのは『グッド・バイ』という未完の作品です。

3つの小説に関わる女性たちが、映画でも重要な役割をもって登場します。

本を読む時間がない!という方のために、『ヴィヨンの妻』『斜陽』『人間失格』の詳しいあらすじ、3人の女性との関係について、下記にまとめました。

『ヴィヨンの妻』(1947年3月)/モデル・津島美知子(太宰の妻)

『ヴィヨンの妻』は、太宰治が亡くなる一年半前に書かれた作品です。

主人公は、男爵の息子で詩人でもある大谷の妻・さっちゃん。この「さっちゃん」のモデルは、太宰治の妻・美知子だと言われています。

映画『人間失格』で津島美知子を演じるのは、宮沢りえさん。

 
 
 
 
 
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太宰を愛した3人の女たち、解禁。① ⠀ ⠀ 💐太宰の正妻 津島美知子役:#宮沢りえ さん ——- 🖋️コメント🖋️ いつか、いつかと話していたミカさんとの作品作りが実現してとても嬉しいです。映画の中の世界とはいえ太宰治の妻として生きる時間はとてもエネルギーを必要とする時間でしたが、役を生きる事に誠実な小栗さんと子供の役である素晴らしい3人の存在、才能あるスタッフが、太宰治の妻として母としての息吹を与えてくれたような気がします。 ——- #映画 #映画人間失格 #人間失格 #太宰治 #小栗旬 #蜷川実花

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『ヴィヨンの妻』のあらすじ、そしてモデルとなった津島美知子について紹介します。

男爵で名のある詩人、しかし働かず酒に溺れる夫

主人公のさっちゃんは、男爵の次男であり有名な詩人でもある男・大谷の妻です。

妻と言っても2人は籍を入れていませんから、正式には「内縁の妻」ということになるでしょうか。

2人には子供(男児)がいますが、成長に遅れが見られ見た目も精神も2歳程度です。

身分が高く名の知れた詩人であるものの、大谷は夜な夜な酒に溺れるばかりで働きません。

出かけては酒を煽り、気が向いたときに帰ってくる……大谷はそういう男でした。

障害がある子供を抱え、さっちゃんは極貧生活を余儀なくされます。子供が熱を出しても、お医者さんに見せるお金さえありません。

当の大谷は、お金もないのに「医師に見せればいいでしょう」と逃げるばかり。しかしさっちゃんは、そんな大谷を責めることはしませんでした。

その日も大谷は、外で酒を飲み夜更けに帰宅しました。大谷を出迎え、お握りを勧めるさっちゃん。穏やかな時間が過ぎていくものの、珍しく大谷が「坊やの熱はどうだ」と聞いたことに、悪い予感を覚えます。

そして、さっちゃんの悪い予感は当たるのでした。2人で過ごす静かな夜に、思いがけない招かざる客がやってくるのです。

夫・大谷のタダ飲み・盗難が発覚!

その客とは、中野で小料理屋を営む亭主と妻の2人。

事情がつかめないさっちゃんの前で、亭主は大谷に「警察に突き出してやる!」と怒鳴りつけます。

大谷は「ゆすりだ!」と抵抗し、ジャックナイフで亭主が怯んだすきに家を飛び出しました。夫婦の前に1人残されたさっちゃんは、亭主とその妻から事情を聞かされます。

大谷を怒鳴りつけた亭主は、丁寧な物腰のさっちゃんを見て落ち着き、家の中で事情を語り始めます。

お金を払ったのは1度だけ!3年もタダ飲みしていた大谷の所業

田舎から上京し、苦労を重ねて中野に小料理屋を開業したという夫妻。

日本が戦争に突入しても、「この店が焼けてしまうまでは」という覚悟で、店を続けてきたそうです。

戦争の影響で日本が物資不足に陥ったときは、休業と看板をあげながらも、少数の客だけは出入りを許していました。

その中には、上客ばかりを紹介してくれる「バーの女給出身の女」がいたのです。この女に連れられ、亭主の店にやってきた1人が、件の大谷だったのです。

静かに上品に酒を飲む大谷を見て、亭主はかなり好感をもったとか。

大金をさらりと払う金払いの良さも手伝い、亭主はすっかり大谷を信用してしまいました。

ところが、大谷が金を払ったのは「あとにもさきにも、ただこの時いちどきり」で、その後3年ものあいだ「一銭のお金も払わずに、店の酒を飲みほしてしまった」のです。

さらに店で盗みを働いた大谷!

それから大谷は度々店に現れるのですが、そのたびに「自分は石川啄木よりも才能がある」とか、「学習院から東大に進み、ドイツ語フランス語を話せる」などと吹聴します。

店主は怪しむものの、すべてが嘘なわけでもないので、大谷の言うことを信じてしまったそうです。

さすがに亭主も度々「お金を払ってほしい」と言いましたが、そのたびに大谷はのらりくらりとかわします。そして決定的に亭主を怒らせたのが、大谷が店で盗みを働いたことでした。

年末で物入りということもあり、亭主の妻は5000円という大金を戸棚にしまっていました。その様子を見た大谷は、妻を押しのけて引き出しから5000円をとり、悪びれずに出て行きました。

その大谷のあとを2人は追ってきた、というわけです。

お金もなく途方にくれるさっちゃんに奇跡が起きる!

2人から事情を聞いたさっちゃんは、「明日に必ずお金を調達し、お店に行く」と約束します。が、子供を病院に見せるお金もないさっちゃんに、そんな大金を支払えるはずがありません

支払いのあてはない、でも約束を違えるわけにもいかない……。さっちゃんは子を背負って店を訪れ、「今日の夜には綺麗にお金を返せる」と嘘をつきます。そして「自分は人質としてこの店にいる」と言い、2人の店を手伝うことを申し出ました

美人で気立てのいいさっちゃんは、短い時間にすっかり店の人気者に。

さらに奇跡が起きます。さっちゃんが店で働く中、大谷がバーの女を伴ってやってきました。昨日の今日で店にやてくる大谷に驚きますが、それには理由がありました。

一緒に来たバーの女は、大谷がため込んだ酒代をすべて支払ってくれたのです!

これで悩みから解放されたさっちゃんは、心おきなくお店の手伝いを続けるのでした。

イキイキとお店で働きはじめる妻・さっちゃん

夫の借金がきっかけとはいえ、さっちゃんは店で働くことに楽しみとやりがいを感じていました。

大谷と結婚する前は、父親の屋台を手伝っていたさっちゃん。そんなさっちゃんにとって、小料理屋のお客さんをあしらうのはお手のものです。

お客も気立てのいいさっちゃんを気に入り、今日一日でチップを500円ももらうことができました。何より、この店にいれば夫に会えます。家で待っていても、いつ帰ってくるか解らない夫に……。

この縁がきっかけとなり、さっちゃんは小料理屋で働くことを決意。亭主も快く了承し、一日にしてさっちゃんの人生は一変しました。

お店で働くことになったさっちゃんは、次の日にさっそく美容院で髪を整えてもらいました。さらに化粧品を揃え、着物を綺麗に繕います。

このひとつひとつに、さっちゃんの心はどんどん明るくなっていきます。さらに亭主の妻は、さっちゃんのために白足袋を2足も用意してくれます。

こうしてさっちゃんは、「椿屋」の店員として正式に働き始めます

どんどん強くしたたかになる妻と、変わらない夫

頭のいいさっちゃんは、お店で働きはじめてからしばらくして、あることに気づきました。

それは、このお店を切り盛りしている亭主や妻、そしてやってくる客もすべて「犯罪者」であるということです。「犯罪者にならざるを得なかった」と言った方がいいかもしれません。

ある日、お店に上品そうな老婦人がやってきました。彼女が持ち込んだお酒を、店の妻は300円で買い取ります。が、飲んでみるとそれは水で薄めたお酒でした。

あんなに上品そうな女性さえ、人を騙さなければ生きていけない悲しい世の中。

店の亭主も妻も、生活のためとはいえ「違法」と知りながらお酒を出し、客も「違法」と解って飲んでいます。そうやって生きていくしかないのです。そして、さっちゃん自身も……。

実はさっちゃんは、雨の日に自宅まで送ってくれた客に襲われ、心に傷を負っていました。

襲った相手は、夫・大谷のファンを名乗る男でした。それでも生きていくために、彼女は何事もないと装って出勤します。

まだ日が沈まない時間に店に入ると、そこには夫の大谷がいました。新聞に書いてある自分の悪評を見て、大谷は「自分は人非人じゃない。この店で盗んだ5000円も、妻子のために盗んだものだ」とさっちゃんに言います。いつもと変わらない、悪びれない大谷の表情。

大谷の言葉を聞いたさっちゃんは、少しも喜ばずにこう告げるのでした。

「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きてさえいればいいのよ」と……。

太宰治の妻・津島美知子について

『ヴィヨンの妻』の主人公・さっちゃんのモデルとなった津島美知子さんとは、実際にはどんな女性だったのでしょう?

津島美知子について解説する前に、太宰の女性遍歴に触れなければなりません。

津島美知子と結婚前に2度の心中未遂をしている太宰

実は太宰は、大学在学中に田部シメ子という女性と心中未遂を起こしています。

このときシメ子だけが亡くなり、太宰は辛くも生き延びました。この事態の収集に奔走したのが、太宰治の実家・津島家です。津島家は青森の名家なので、相当頭の痛い思いをしたはずです。

ちなみに田部シメ子は、けっこうな美人さんです。

しかし、これで懲りる太宰ではありません。

今度は大学在学中に、遊女あがりの小山初代と結婚したいと言い出しました。津島家は猛反対するものの、最終的に除籍を条件に結婚を認めます(しかし太宰は、挙式したものの入籍はしませんでした)。

ところが数年後、太宰はこの初代と再び心中未遂を起こすのでした。このときは2人とも助かりましたが、太宰と初代は別れています。

この時点で、かなりのお騒がせ人間だった太宰。妻の津島美知子は、この太宰と結婚した女性なのです。

どんな女性か気になりますよね?ここまでの経緯を知ったうえで、改めて津島美知子をみていきましょう。

太宰と津島美知子を仲介したのは作家・井伏鱒二

津島美知子の旧姓は、石原美知子。父は学校の校長を務めた人物で、自身も女子高の教諭を務めるなど、非常に勤勉で真面目な人物です。

家柄的にも申し分ない女性だったはずですが、なぜこの女性が自殺未遂を2度も犯した太宰と出会ったのでしょう?

太宰と津島美知子が出会うきっかけになったのは、太宰が師事していた大作家・井伏鱒二です。

「黒い雨」などの著書を執筆された作家さんですね。井伏鱒二は美知子の妹・愛子から彼女の存在を知り、太宰との縁談を勧めることにしたのです。

美知子に会ってすぐに結婚を決意した太宰

美知子とお見合いをした太宰は、彼女に会ってすぐに結婚を決意しました。

初めて2人が出会ったのが1938年9月18日、婚約したのが11月6日ですから、かなり彼女のことを気にいったのでしょう。

美知子の方は、会う前に太宰から贈られた「晩年」を読み、彼を「自分自身を啄んでいるようだ」と感じたとか。

小説を通して太宰の内面を知った彼女は、会う前から太宰に好感を持っていたのかもしれません。

頭がいい美知子は、太宰の小説を読んで「彼が持つ才能の豊かさ」を認めたのでしょう。

才能に惚れて結婚したと考えれば、美知子が太宰を選んだ理由も納得です。こうして出会った2人は、1939年1月8日に結婚します。

美知子に宛てられた「誰よりも愛していました」という遺書

めでたく結婚した2人ですが、ここでおとなしくなる太宰ではありませんでした。太宰との結婚後、美知子の苦労は多くのエピソードから想像できます

2人は女児2人男児1人に恵まれましたが、男児はダウン症という障害をもって生まれました。

太宰はこの長男に対する葛藤が強かったのか、『ヴィヨンの妻』以外にも『桜桃』という作品の中で苦しみを吐露しています。障害への理解が進んでいない時代でしたから、太宰が悩むのも当然でしょう。

3人の子供の育児に加え、美知子は太宰の女癖の悪さにも悩まされます。

『斜陽』の土台となった日記を提供した愛人・太田静子は、太宰との間に子供をもうけています。その子を認知した夫・太宰のことを、美知子はどう思ったのでしょうか。

さらに太宰は、最期の愛人・山崎富栄と心中し、今度こそ命を落としてしまいます。別の女と死を迎えた太宰の心中も、それを知った美知子の気持ちも、今となっては想像しかできません。

しかし太宰は、美知子宛ての遺書にこう書き残しています。「誰よりも愛していました」、と。誰よりも美知子を愛していたからこそ、彼は美知子を連れていくことはできなかったのかもしれませんね。

『ヴィヨンの妻』のさっちゃんから見る津島美知子の人間像

『ヴィヨンの妻』はあくまで小説なので、さっちゃんのすべてが美知子に当てはまるとは限りません。

さっちゃんと美知子では、生まれ育った背景もまるで違います。しかしおそらく、さっちゃんが持つ資質が美知子と重なるのでしょう。

優しくて物腰は丁寧で、芯が強くて時代を生き抜くしたたかさがある女性。

精神的に自立し、誰よりも夫を深く愛した女性。

太宰治の小説には、さっちゃんのような「自立心の強いたくましい女性」がたくさん出てきます。

太宰の理想の女性がそうだったのか、それとも美知子を愛していたから小説に反映されたのか、それは解りません。

でも太宰の小説を読むと、やはり彼は美知子を愛していたのだな、と感じるのです。

『斜陽』(1947年12月)/モデル・太田静子(作品の土台提供)

続いて紹介するのは、こちらも太宰治の代表作のひとつ『斜陽』です。

『斜陽』の主人公は、戦後に没落した元貴族の娘・かず子。このかず子のモデルは、当時に太宰が付き合っていた愛人・太田静子です。

映画『人間失格』で演じているのは、沢尻エリカさん。

 
 
 
 
 
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太宰を愛した3人の女たち、解禁。② ⠀ 💐太宰の愛人で弟子でもある作家 太田静子役:#沢尻エリカ さん ——- 🖋️コメント🖋️ 蜷川監督作品に帰って参りました。 今回は恋に生きる女性を全力で演じてみました。 実花さんが作り出す世界観と小栗さん演じる太宰治の魅力で、ウキウキが止まらない撮影で夢みたいな体験をする事が出来ました。 沢山の素敵なキャストと最高のスタッフが集結しているので、どんな仕上がりになるのか期待しかありません。 皆さんもきっと「人間失格」の太宰治に魅了されるでしょう。 それでは、劇場でお会いしましょう。 ——- #映画 #映画人間失格 #人間失格 #太宰治 #小栗旬 #蜷川実花

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実は静子は、ただ作品のモデルとなっただけの女性ではありません。

『斜陽』の元となる日記(のちの『斜陽日記』)を太宰に提供し、愛人のまま彼の子を産みました。

この作品が書かれた背景には、太宰治の実家・津島家の存在が関係しています。

青森の大地主だった実家・津島家は、戦争の影響でかつての華やかさを失いました。人が去り物が無くなる実家を見て、太宰治は「ロシアの没落貴族を描いた『桜の園』の日本版を書きたい」と考えました。

そして太宰は、太田静子から提供された日記をもとに、『斜陽』を書きあげます。

世間で「斜陽族」という言葉を生んだヒット作、『斜陽』のあらすじをお届けします。

戦後に没落した貴族の娘・かず子と母の旅立ち

主人公のかず子は、かつて「貴族」と呼ばれる上流階級のお姫さまでした。

なに不自由なく生きてきたかず子でしたが、戦後の混乱で家は没落してしまいます。

父は早くに亡くなり、戦争から戻った直治は薬物中毒で行方知れずのまま……。

東京の自宅に残された母とかず子は、叔父(母の弟)の金銭的援助を受けて生活していました。が、その叔父も2人の援助をすることは難しくなり、2人に「東京を離れ、伊豆の山荘に移り住んでほしい」と伝えます。

もはや叔父の援助では、2人の東京での生活を維持できないのでしょう。

叔父から事情を聞いた母は、実際に山荘を観に行くこともなく伊豆行きを承諾。

「実際に見もしないで決めてしまうなんて」とかず子は反発しますが、母は「和田の叔父さまが良いところというなら、そうに決まっている」と言い、笑って見せました。しかしそれは、母の本音ではありませんでした。

身も心も貴族そのものであった母は、家がどんどん没落していくことが受け入れられません。

もう家にお金がないことも、そのために東京を離れなければならないことも、彼女にとっては地獄でしかありませんでした。それでも母が伊豆に行くのは、娘のかず子を1人にできないからです。

2人は悲しい気持ちを抑えられないまま、東京を離れて伊豆に向かいます。

貴族生活から抜けきれない母と娘、そしてかず子の変化

2人がやってきた伊豆は、とても美しいところでした。

空は青く空気は澄んでいて、かず子は「思ったほど悪いところではない」と自分と母を慰めます。

母も頷くものの、やはり東京を離れたことのショックは大きく、熱を出して倒れてしまいます。

自分たちの悲しい運命と母を思い、涙を流すかず子。この悲しい日が、かず子と母の伊豆生活のはじまりでした。

伊豆の山が、空気が、東京とは全く違う四季の美しさで2人を包みます。ある日のこと、縁側から庭を眺めていたかず子は、「畑を作ってみたい」と母に話しかけます。

「それはいいわね、私も手伝いたい」とほほ笑む母……。

一見穏やかで楽しい生活が、まがい物であるとかず子は気づいています。

母とかず子は、東京を離れた日に一度死んだも同然なのです。しかしその「死んだ」には違いがある、そのことにかず子は気づき始めていました。

そんなある日、かず子の運命を大きく変える出来事が起きました。火の不始末から、山荘でボヤを起こしてしまったのです。

村民の1人から「下手をすれば周辺の家も焼けていた」「あなたたちはままごとのような生活をしている、今まで火事を起こさなかったのが不思議だ」と叱責されたかず子は、自分が貴族の生活から抜け切れていないことを痛感するのでした。

火事を起こした次の日から、かず子は畑仕事を始めます。

貴族の娘として生きてきたかず子が、生まれ変わろうと立ち上がった瞬間でした。

編み物を愛するたおやかな母と違い、かず子は力をふるって畑を耕すことに生きがいを見出します。

東京を出てからどんどん弱る母と、どんどん逞しくなる娘。2人の道の違いが顕著になります。

弟・直治の帰宅とかず子の過去

ある日かず子は、母の口から「弟の直治の行方が分かった」と聞かされます。

かず子の弟・直治は、戦争から戻ったあとに酒や薬物に溺れ、母を大いに悩ませた人物です。

かず子自身も、直治の薬物中毒のせいで離縁(離婚)した過去がありました。

荒れた生活を送っていた直治は、あちこちで酒代や薬代をため込んで借金を作りました。

直治の借金返済のために奔走したのが、かず子の母です。直治の借金を知った母は、自分のお金を息子の借金返済に充てたのです。

それでも借金を返しきることはできず、直治は姉のかず子にも「お金を貸してほしい」と手紙をよこしました。

当時かず子は結婚したばかりで、自由にお金を使うことはできません。しかし弟の窮地を放っておけず、ドレスなどを売ってお金を工面しました。

直治のためにお金を準備したかず子は、直治が手紙で指定した小説家・上原のもとを訪ねます。

庶民上がりで粗暴と評判の上原に会ったかず子は、たった一度の彼からのキスで恋に落ちます。

この「ひめごと」は、かず子の心に大きな根を張ることとなり、やがて「離婚」という形で彼女の人生を変えてしまいました。

やがて直治が山荘に現れ、彼を交えての3人暮らしが幕を開けます。その傍ら、かず子はある決意を固め、上原に手紙を書くのでした。

返信のない3通の手紙、弟と迎えた母の死……

小説『斜陽』の目玉のひとつと言えるのが、かず子が上原に宛てた3通の手紙です。

簡単に内容を紹介すると、「あなたの妾になって、子供を産みたい」という内容です。

たった一度キスしただけの上原に、「あなたが私に火をつけたのであから、責任を取るべき」とまで言っています。

上原が既婚者と知ってのこの行動、とても元貴族とは思えません。かなり大胆な内容ですよね。もちろん、上原から返信はありませんでした。

一方的で思い込みが激しい女、そう取られてしまいそうな手紙ですが、この手紙にはかず子の「これまで信じてきた道徳との決別」と、「元貴族のたよりない女性からの脱却」が描かれています。

貴族時代は流れるように生き、結婚さえ自分の意志を持たなったかず子が、自分の意志で行動する女へと生まれ変わっています。

かず子が「元貴族のおひめさま」と決別する一方で、貴族を捨てられない母はどんどん弱っていきました。

世間で貴族が力を失くしていくように、日に日に衰えていく母……。

最後まで貴族であり続けた母は、かず子と直治が見守る中、静かに息を引き取りました。

上原と再会したかず子が知った弟・直治の自殺。

ここからが、小説『斜陽』のもっとも悲しく、もっとも美しいクライマックスです。

ここではあらすじを紹介しますが、ぜひ小説で原文をご覧ください。

母が亡くなったあと、かず子は1人で東京の上原を訪ねます。

手紙を書いても会ってくれないので、直接会いにいったわけです。この行動力、もうかず子は立派な自立した女性ですよね。

上原に再会したかず子は、彼が体を悪くしていることを悟ります。目の前の上原からは、亡くなる寸前の母と同じ匂いがしました。

かず子に会った上原は、手紙を返さなかった理由を「貴族が嫌いだから」と打ち明けます。

貴族は気取っている、庶民を馬鹿にしているから嫌いだと。かず子の弟・直治についても、「貴族にしてはマジだが、たまに付き合いきれない小生意気さを出す」と酷評します。

かず子と一晩を共にしたあと、上原は「僻んでいたのさ、百姓の出だから」と本音を打ち明けます。

上原はずっと「百姓出の自分」に苦しんでいたのです。かず子の母が、元貴族であるばかりに苦しんだように……。

さらにもうひとつ、かず子に悲しい現実が訪れました。弟・直治が自殺したのです。

『斜陽』いちばんの見どころ・直治の遺書を解説

直治の遺書は、「姉さん。だめだ。さきにいくよ」に始まり「僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです」と続きます。

貴族の暮らしを嫌い、貴族の自分を嫌っているように見えた直治は、誰よりも「身分」に苦しんでいました。

貴族社会から大衆に居場所を映したものの、そこでも周囲は「元貴族」として直治を見ます。そして直治自身も、肝心なところで「貴族の身分」を捨てられません。

元百姓の上原に「おごってやる」と言われても、貴族の自分がそれを認められない……。

「生きて在るうちは、ひとにごちそうしたいと思っていたのに、もう、人のごちそうにならなければ生きていけなくなりました」と、直治は綴っています。

貴族としてプライドを折れないだけでなく、彼は生活能力の低さにも悩んでいました。

周囲の庶民と同じように働き、賃金を稼ぐことができなかったのです。ここでも直治は「貴族」のまま。

貴族を捨てられない彼は、お酒を飲んで薬を使って頭をぼんやりとさせてまで、庶民になりきろうとします。

下品な言葉遣いをして、周りがあきれるほど遊んでも、彼は「ひとつも楽しくなかったのです」と書き残しました。

本当は上原を憎んでいたこと、彼の妻に恋をしていたことを姉だけに告げ、最期に「姉さん、僕は貴族です」と書いて直治はこの世を去りました。

私生児を身ごもったかず子が目指す「道徳革命」

『斜陽』は、直治の手紙のあとに続くかず子の手紙をもって、幕を下ろします。

かず子の手紙は、上原に宛てた最後の手紙でした。

戦後の混乱の中で、母は「貴族」のまま亡くなりました。

庶民から金持ちに成りあがった上原は、母とは逆に「貴族になれないコンプレックス」を懸けていました。どんなにお金持ちになっても、彼は百姓生まれを忘れられませんでした。

そして、貴族にも庶民にもなることができないまま、この世を去っていた直治……。

ひとり残されたかず子は、願いどおり授かった上原との子を産むと上原に告げます。

道徳に縛られたこの世の中で、道徳から外れた「未婚の母」として生きることが、自分の道徳革命なのだと。

かず子の手紙の中にある、力強い一文を紹介しましょう。

「私生児と、その母。

けれども私たちは、その古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きていくつもりです」

かず子は直治を「犠牲者」と書き、いつの日かお腹の子を「直治の子です」と告げて上原の妻に抱いてもらいたいと綴り、手紙を締めくくります。

かず子は貴族や庶民という括りを捨て、上原への未練も捨て、まったく新しい自分として生きていく。そう感じさせたまま、物語は終わります。

『斜陽』のベースを作った女性・太田静子のこと

太宰のヒット作としてかなり著名な『斜陽』ですが、実は「原作」に相当するものが存在します。

『斜陽』の元となったのは、当時の太宰が交際していた愛人・太田静子の日記です。

この日記をめぐる経緯が、太宰の人間性をよく伝えてくれます。決していい意味ではありませんが……。

太田静子は、滋賀県で開業医を営む家に四女として生まれました。

一度は結婚するものの、長女を亡くすという悲劇に見舞われ協議離婚しています。この静子と太宰は、どんな経緯で出会ったのでしょうか。

もともと太宰のファンだった太田静子は、長女を亡くしたときに書いた告白文(日記形式)を太宰に送りました。ファンから届いた告白文を読み、太宰は感じるものがあったのでしょう。

「気が向いたら遊びに来てください」と、静子に返信します。ここから2人の縁が始まりました。

初めて2人きりで太宰に会ったとき、静子は彼が既婚者と知りながら恋に落ちます。2人の関係は太宰の妻・美知子の知るところとなりますが、静子は関係を続けます。

太宰に「小説を書くために、あなたの日記を提供してほしい」と乞われた静子は、自身の実家や母のことを書いた日記を渡しました。

この日記こそが、『斜陽』の原型となった日記です。太宰は静子の日記をもとに、小説『斜陽』の執筆を始めました。

太宰の子を身ごもった静子と『斜陽』の発表

ところがこの後、静子を気落ちさせる出来事が起きました。

静子から日記を受け取った太宰は、とたんに静子に冷たく接するようになったのです。

愛する男の心無い変化は、この上なく静子を傷つけました。太宰の子を身ごもり、三鷹にある太宰の自宅を訪ねても、彼の冷たさは変わらず……。しかもこの時静子は、新たな愛人・山崎富栄と鉢合わせしてしまいます。

太宰の妻ににらまれながらも関係を続け、自分の日記まで提供したのに、肝心の男は新しい愛人を囲っていた……。

静子のショックはどれほどだったのでしょうか。この日が、静子と太宰の最後の今生の別れとなりました。

その後、静子は太宰の子を出産。彼女の弟を通し、太宰は娘を認知して「治子」という名を与えます。

自分の名前を娘につけたのは、せめてもの太宰の愛でしょうか(これが今度は富栄を追い詰めることになるのですが…)。

そしてこの年に、静子の日記をもとにした『斜陽』が出版されます。

太宰の死、『斜陽日記』の出版

終わったかに見えた太宰と静子の関係は、奇しくも『斜陽』を通して永遠に続くことになります。

『斜陽』が出版された翌年の1948年、太宰治は愛人の山崎富栄と共に入水自殺でこの世を去りました。

のちに静子は、太宰と共に死んだ愛人の富栄に対し、「あの人と一緒にいってくれて、ありがとうという気持ち」と答えています。亡くなった当初の心境は、そんなものではなかったでしょう。

太宰がこの世を去ったあと、太宰の師・井伏鱒二らが静子のもとを訪問。彼らは「太宰の名誉や作品に関わる発言をするな」と約束させ、『斜陽』の印税10万円をわたしました。

つまりこれは、「『斜陽』のベースとなった静子の日記について黙っていろ」ということです。ひどい話ですよね。

このとき、太宰に渡した日記が静子へ返還されています。

静子は太宰の実家・津島家からも良く思われず、のちに関係を断っています。

愛人という立場や、遺産相続問題が背景にあったと言われています。津島家は太宰に散々迷惑かけられましたし、愛人を受け入れられなかった気持ちも解ります……。

静子は一人で働いて娘を育てながら、かつて太宰に提供した日記をもとに『斜陽日記』を出版しました。

生活費を得たかったこと、出版社に乞われたことが理由とか。が、当時の人々は、静子の『斜陽日記』の方を盗用と決めつけ、彼女を認めることはありませんでした。

宰治はあまりに大きな存在でした。

どこまでもどこまでも、静子を苦しめる男だったのかもしれません。

太宰を愛し、そのために多くの苦労を背負った女性・静子は、娘・治子が見守られながら69歳でこの世を去ります。

現在では『斜陽日記』の信ぴょう性も認められ、彼女は名作『斜陽』と共に語り継がれる存在になりました。

小説『人間失格』と太宰最期の愛人・山崎富栄を解説!

『ヴィヨンの妻』『斜陽』と紹介してきて、いよいよ最後の『人間失格』の項目となりました。

『人間失格』は、太宰が入水自殺をする1948年に書かれた作品です。

太宰の遺作は『グッド・バイ』と言われていますが、こちらは未完の作品となるため、完成した作品で言えば『人間失格』が遺作となります。

太宰作品の中でもっとも著名な『人間失格』は、太宰自身の人生を色濃く反映させた作品と言われています。

実際に読むと、あちこちにちりばめられた「太宰らしさ」に気づくでしょう。

『ヴィヨンの妻』『斜陽』と大きく違うのは、この二作が妻や愛人をモデルに書かれているのに対し、『人間失格』はそうではない点です。

太宰が『人間失格』を執筆していた時期に、彼の一番近くにいた女性が山崎富栄でした。

 
 
 
 
 
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太宰を愛した3人の女たち、解禁。③ ⠀ 💐太宰の愛人で最後の女 山崎富栄役: #二階堂ふみ さん ——- 🖋️コメント🖋️ とうとうこの作品に出会ってしまいました。美しく儚い、そんな夢を見ていたような現場でした。 小栗さん演じる修治さんは、私が何処かで求めていた “太宰治” のような気がします。きっと観る人其々の中にある “太宰治” に会える作品だと思います。 実花さん、しあわせでした。 ——- #映画 #映画人間失格 #人間失格 #太宰治 #小栗旬 #蜷川実花

映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』(@nsmovie2019)がシェアした投稿 –

映画では、二階堂ふみさんが演じていますね。

山崎富栄は、太宰治と共に入水自殺をして命を絶ちました。このときに太宰も一緒に亡くなっているので、太宰と最期を共にした女性、ということになります。

大作家・太宰治と心中したために、彼女は死後にわたって人物像をゆがめられ、名誉を傷つけられました。「富栄が無理やり太宰を心中に引き込んだ」という論調は強く、現在も根強く残っています。

彼女と太宰がどうして心中を選んだのか、それは今となっては解りません。

が、富栄について詳細に取材した有識者の努力により、彼女のもうひとつの人物像が知られ始めています。

下記では、「世間に根付いた山崎富栄とはまた違う、もうひとつの山崎富栄の姿」を解説しています。

※のちに追記を行います。

小説『人間失格』のあらすじを解説

小説『人間失格』の主人公は、東北地方の裕福な家庭に生まれた大庭葉蔵です。

数奇な運命を生きることになった彼は、自分が辿ってきた人生の孤独・苦しみをノートに綴っていました。

その葉蔵のノートは、これもまた不思議な運命をたどり、作家志望の「私」の手に渡ります。

ノートを手にした「私」は、一緒に手に入れた「葉蔵の3枚の写真」を見つめます。

視線の先にいるのは、これまで「私」が出会ったことのない、見たこともない異様な雰囲気の人物……。

「私」曰く、写真に映っている葉蔵は「見るものをゾッとさせ、嫌な気持ちにさせる男」でした。

女性をはっとさせる美貌をもちながら、表現しきれない不気味さを漂わせる男・大庭葉蔵。

そしていよいよ「私」がページをめくり、葉蔵の物語が幕を開けます。

「大人が気に入る子供」を演じる少年・大庭葉蔵(第1の手記)

「恥の多い人生を送ってきました」。

あまりにも有名なこの書き出しから、大庭葉蔵の告白が始まります。

東北の裕福な家庭に生まれ、何不自由のない生活をしていた葉蔵は、人に言えない悩みを抱えていました。それは、「周りの人間が考えていることがわからない」という悩みです。

例えば葉蔵は、「お腹が空く」という感覚が解りません。

でも、葉蔵の周りにいる大人たちはみな「お腹が空いただろう」と聞いてきます。だから葉蔵は、大人たちが喜ぶように「お腹が空いた!何かない?」と甘えてみせ、さもおいしそうに甘納豆をほおばって見せました。

でも本当の彼は、「空腹感」が何なのかさえ分からない子供でした。

やがて葉蔵は、「大人が求める理想の子供」を演じるようになります。

賢くてひょうきんで、打てば響くかわいらしい子供を。

父の出張で「お土産は何がいいか」と聞かれたときは、父の期待に応えるために「本」から「仮面」と要望しなおし、父を喜ばせることさえしました。

見た目が美しく賢い子供だった葉蔵は、賢明な努力で大人たちを欺き、信じさせたのです。

そんな彼は、自宅の使用人に性的ないたずらをされたときさえも、家族に打ち明けることができません。

いつも自分を取り繕い、仮面をかぶって生きている葉蔵は、「どうしてみんな嘘をつくのだろう」と疑問に思いはじめます。

父の前ではお世辞ばかり言う男たちが、陰ではめちゃくちゃな悪口を言っているのを見て、「どうして嘘をつき、必死にサービスまでしなければならないのだろう」と疑問を覚えます。

さらに理解できなかったのは、「欺き合っているのに、明るいふりをして生きている人々」のこと。

心の中はドロドロしているくせに、清く明るい人間を演じる大人のことが、葉蔵はどうしても理解できませんでした。これらの葛藤は、彼の心をますます屈折させていきました。

葉蔵の学生時代と心中未遂(第二の手記)

勉強せず高成績だった葉蔵は、中学進学と共に遠方の親せきの家に移り住みます。

父が選んだ学校は海と桜が美しく、古郷で生きるよりもずっと気楽に過ごせました。

ところがある日、彼をこれまでにない恐怖が襲います。

それまで誰も見破ることのなかった葉蔵の嘘を、クラスメイトの竹一という少年が見破ったのです。

葉蔵は竹一を恐れ、彼の親切な優しい友人になることで、欺こうと考えました。それが、葉蔵と竹一の出会いでした。

葉蔵の演技が功を奏し、すっかり葉蔵を信用するようになった竹一。

その竹一が持ってきた一枚の絵を見て、葉蔵は「絵を通して自分の内面を表現する楽しみ」を覚えます。

竹一は人を見抜く際があったようで、葉蔵に2つの予言を与えています。

1つめは、葉蔵に「お前は女に惚れられるよ」という予言。

2つめは、「お前は偉い絵描きになる」と言う予言です。

この予言の先を知ることもないまま、中学卒業とともに2人は別れを迎えました。

東京の高等学校に進学~女給・ツネ子との自殺未遂

中学を出た葉蔵は、東京の高等学校に進学。

ひそかに「絵画を学ぶ学校に行きたい」と考えていたものの、父に言い出せるはずもありません。

当初は寮生活を送っていた葉蔵でしたが、明るく情熱的な周囲の学生についていけず、すぐに父の別荘に移ってしまいました。葉蔵が築いてきた「明るく楽しい人気者という道化」も、高校ではとても役立つものではなく、彼は本来の陰鬱な気質を表に出すようになります。

絵の道をあきらめきれず、学校が終わった後に画塾でデッサンをしているうちに、「なぜ学校にいかなければならないのか」と疑問を持ち始めます。

葉蔵の心の隙間に入り込んできたのが、画塾で出会った堀木という青年でした。

精悍な顔立ちをした堀木は、外見通りに遊びも上手な男。田舎のおぼっちゃんだった葉蔵に彼は、左翼思想と女遊び、酒、質屋、娼婦を教え込みます。

お金の管理ができない葉蔵の代わりに、飲み代や電車代の管理もしてくれました。人づきあいの上手い堀木に流されたこと、学校が少しも楽しくなかったことから、葉蔵は次第に学校をさぼるようになります。

このころ、カフェの女給・ツネ子と深い関係になりました。

しかし、こんな生活がいつまでも続くわけがありません。

葉蔵の堕落した生活は実家に知られることとなり、厳しい叱責を受けるようになりました。

住んでいた別荘も、父の議員退職と共に売り払われてしまい、葉蔵は生活のすべてを仕送りだけで賄わなければならなくなったのです。「お金がない」、これは葉蔵にとって初めての経験、とてもみじめな経験でした。

葉蔵はお金、女、学業、すべてに疲れ果て、やがてツネ子と共に海へ身投げします。そして、葉蔵だけが助かるのでした。

天国から地獄へ、そして廃人へ(第三の手記)

ツネ子との自殺未遂のことで、葉蔵は高校を退学になります。

起訴猶予となった葉蔵の前に現れたのは、実家の関係者であった「ヒラメ」という男でした。彼は葉蔵の世話人として、ここに送られてきたのです。

ヒラメに「今後どうして生きていくのか」を問われl、葉蔵ははじめて「画家としてやっていきたい」と答えました。が、当然受け入れられるはずもありません。

ヒラメに嘲笑され、いたたまれなさを感じた葉蔵は、その日のうちにヒラメの家を逃げ出しました。

行き場のない彼が向かったのは、悪友・堀木のところ。

その堀木が世話になっている家で、葉蔵は「シヅ子」という編集者に出会います。

葉蔵はシヅ子と二人の子供と暮らすようになり、漫画を描きながら酒浸りの日々を送るよになりました。

「あなたを見ていると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる」

シヅ子は献身的に葉蔵を支え、愛するようになります。が、葉蔵はシヅ子と子供たちが本当に幸福な笑顔を浮かべるのを見て、「幸せの邪魔はできない」と決断。家を出たきり、シヅ子のもとへは帰りませんでした。

純真無垢な無助・ヨシ子との出会い、そして2度目の自殺未遂

シヅ子と別れてから1年がたったころ、葉蔵はたばこ屋の娘・ヨシ子と出会います。

これまで年上の女性とばかり付き合ってきた葉蔵にとって、17歳のヨシ子は新鮮な存在でした。まだ男を知らず、人を疑うことのない清廉さに心惹かれました。

やがて二人は結婚。純粋で正直なヨシ子は、人生で初めて得た安らぎとなりました。

が、ヨシ子はその人の好さに付け込まれ、自宅で承認に性的暴行をされてしまいます。

その様子を目撃した葉蔵は、「神社でご神体にあったかのような、激しい恐怖」に襲われました。男に乱暴されたヨシ子もまた、それまでの天真爛漫さを失い、葉蔵にさえ怯えるようになってしまいます。

「信頼の天才」と言われたヨシ子の変化は、葉蔵を地獄のどん底に突き落とします。ヨシ子が受けた仕打ちを思えば、その変化は当たり前のことだったでしょう。でも葉蔵には、その変化を受け入れるだけの心の器がありませんでした。

葉蔵は若白髪が出るほど悩むようになり、そこから逃れるために酒を飲むようになり、自宅で見つけた睡眠薬で2度目の自殺をはかります。しかし死にきれず、今度は麻薬に溺れるようになりました。

もはや、どうしようもないところまで堕ちた葉蔵……。

せっかく手に入れたヨシ子との幸福も、自ら手放すことを選びました。そうするしかありませんでした。

ヒラメと堀木に「病院に行こう」と言われ、自動車に載せられた葉蔵は、行く先が精神病棟であることを悟ります。

いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、廃人という刻印を額に打たれることでしょう。

人間、失格。

もはや、自分は、完全に、人間ではなくなりました。

 

自身を「廃人」と称した葉蔵は、その後に故郷のさびれた家で療養生活に入りました。

幸福も不幸もなく、ただ過ぎていく時間を過ごすだけの日々。

自分はことし、二十七になります。白髪がめっきり増えたので、たいていのひとから四十以上に見られます。

苦しみと悲しみに満ちた葉蔵の手記は、ここで終わりを告げるのでした。

ラストにマダムが語った「救い」に注目

葉蔵の手記を読んだ「私」は、ノートと写真を片手に京橋のバーのマダムを訪ねました。

このマダムこそが、「私」に手記と写真を渡した人物なのです。

小説家志望であった「私」は、この手記に何か手を加えることなく、このままの状態で出版したいと考えます。葉蔵の生き方と彼の悲劇は、現代に生きる人々の胸を打つと確信していました。

再びバーに向かった「私」に、マダムはこういいました。

「あのひとのお父さんが悪いのですよ」

「私たちの知ってる葉ちゃんは、とても素直で、よく気が利いて、あれでお酒さえ飲まなければ……いえ飲んでも、……神様みたいな良い子でした」

ここで小説『人間失格』は、静かに幕を下ろします。

なぜ太宰治は女性に愛されたのか?小説を読んでわかるダメ男の引力

映画『人間失格』の中で、太宰治は3人の女性と関係を持ちます。妻がいながら愛人を作り、最終的には愛人との死を選んだ太宰。

浪費に狂い麻薬に溺れ、さらに不倫を繰り返していた彼は、なぜこうも女性に愛されたのでしょう? 映画を視聴する上で知ってほしい「太宰治の魅力」について、語ってみました。

「太宰治を理解してあげられるのは私だけ」と思わせる引力

映画『人間失格』を鑑賞した方の感想を見ると、「太宰治はダメな男すぎる。こんな男を愛する女の気持ちが解らない」という言葉をよく見ます。

偉大な作家に言うのも気が引けますが、実際に彼が生きた人生を追ってみても、おそらく多くの人が「ダメな男だな」と思うでしょう。

しかしそんな太宰治が、数多の女性に愛されたこともまた事実です。それも、「一緒に死んでもいい」と思うほどに。

こんなにダメ男な太宰治は、なぜ女性たちにこんなに愛されたのでしょうか?

太宰が愛される理由は数多く挙げられますが、ひとつ言えるのは「太宰治を理解してあげられるのは、私だけだ」と思わせる力があることです。

太宰治が愛された理由は、彼の作品を読めば明白です。

太宰治の作品には、太宰治自身がモデルとなっているものがたくさんあります。

『人間失格』の主人公・葉蔵が有名ですが、『桜桃』という作品の主人公もそうでしょう。

『桜桃』は、障害がある子供を含め育児を妻に丸投げし、さらに家事も配給もすべて妻に押し付け、なんだかんだ言い訳して逃げる弱い亭主が主人公です。障害がある子供を可愛がることはしても、相談には乗らない。

生活のことも「執筆が忙しいから」と手を貸さない(かといってさっぱり執筆は進まないという)。挙句、妻が少し不満をのぞかせると気まずさに耐えられず、愛人の家に逃げてしまいます。

さらに愛人の家で高価な『桜桃(さくらんぼ)』を出されれば、「これを持ち帰れば子供は喜ぶだろうな」と思いつつ、「子供より親が大事」とつぶやきながらすべて一人で食べてしまう……。

何か不都合ができるたびに「やらない理由」を探して逃げる、まあ現実にいたらダメな男ですよね。今の時代なら、女性に三下り半を突き付けられているはずです。

しかし『桜桃』には、こんな一文もあります。以下、引用します。

「私は家庭に在っては、いつも冗談を言っている。それこそ、「心には悩みわずらう」ことの多いゆえに、「表には快楽」をよそおざるを得ない。」

「私は人に接するときでも、どんなに心がつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気を創ることに努力する。」

「そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金のこと、道徳のこと、自殺のことを考える。」

つまり太宰は、苦しいときほど人の前では明るさを装うし、誰かと会うときには必ず盛り上げるという、大変な気使い屋でした。

同様の表現が、「人間失格」の葉蔵にも見られます。

見目好く誰もが格好いいと思う男が、外に出れば気の弱さを隠して場を懸命に盛り上げる。

彼のダメさは、小説の中では「繊細さ」という美点に生まれ変わります。そんな男が、女性の前では弱さを隠しません。

彼と出会った女性はこう思ったでしょう、「この繊細で才能あふれる男を、私が守ってあげなくちゃ、理解してあげなくちゃ」と。

太宰治が女性に愛された理由は、彼の小説に触れるとスッと理解できます。

映画で「こんなダメ男が愛される理由が解らない」と思った人は、作品を読んだ後に「ああ、太宰が好きだ」と思うかもしれませんよ。

ちなみに『桜桃』はかなりの短編小説なので、どんな方でも読みやすいです。ぜひご一読を。

読んだ人が「私のことだ!と共感する『人間失格』の魅力

女性にモテる理由ではなく、太宰治の小説がどうしてここまで愛され、支持されているのかについても触れておきます。

太宰治といえば「人間失格」が非常に有名ですよね。この本を読んだ人の多くが、共通した感想を挙げているのを知っていますか?それは、「人間失格の主人公は自分だ」という感想です。

『人間失格』の主人公・葉蔵は、幼いときから周囲とは異なる感性を持っていました。

その感性のために、自分の気持ちをはっきり言えなかったり、周囲の人の気持ちが解らなかったりします。そんな自分を隠すために、彼は周囲の顔色を見て明るく振る舞う「道化」を演じていました。

自分の意志を持たず、人と言い合うこともできず。ただ周囲が求める「理想の男子」を演じる葉蔵の姿は、世の中の同町圧力に苦しむ若者の共感を得ました。

みんなと同じにできない、普通になれない、そんな人間の孤独と破滅を描いたのが『人間失格』です。

時代は変わっても、人が心に抱える悩みは同じ。

太宰治の小説は、そんな人間の心の弱さ・孤独を赤裸々に描き、取り繕わないから売れたのです。

『人間失格』の葉蔵は読者自身であり、太宰治が代弁者のように見えたことが、ここまで彼が愛される理由でしょう。

蜷川実花さんがたどり着いた「太宰治像」を確かめに行こう

監督の蜷川実花さんは、映画『人間失格』を世に送り出すために、何年もの時間を構想に費やしたと言います。

太宰治の著書を読み、彼の人生を辿り、彼女は「自分の中の太宰治像」を確立させたのでしょう。

彼女がたどり着いた太宰治像は、ある人にとっては正しいもので、ある人にとっては間違っているかもしれません

なぜなら、彼のファンの数ほど「太宰治像」が存在するからです。

もしも映画を観たあなたが、「これは私が求める太宰治じゃない」と感じたら、「新しい太宰治に出会えた」と考えてほしいです。

この世に誰一人として、「間違いのない太宰治像」を語れる人はいません。

人それぞれの太宰治がいる……むしろ彼に対する解釈の違いこそが、より太宰作品を豊かに、鮮やかにしてくれるでしょう。

もし太宰作品を読んだことがない方なら、これを機に太宰の作品に触れてみてほしいです。

太宰の作品は読みやすいですし、令和を生きる私たちが共感できる言葉がたくさんあります。

いつの世も人間は同じことに悩み、同じことに躓くのかもしれない、そんな風に思わせてくれる作品が溢れています。

昭和の時代に生きた大作家・太宰治が、令和の時代に再び脚光を浴びることには、きっと理由があるのでしょう。

あなた自身が映画を観て、太宰の作品に触れて、その理由にたどり着いてください。そして願わくば、彼が生涯にわたって抱き続けた「孤独」という悲しさに、寄り添ってください。

この映画をきっかけに、「太宰治の魅力」がより広がることを願ってやみません。

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