今年は令和何年?西暦早見表や計算方法、西暦変換などをご紹介

政府は2019年4月1日午前11時40分頃、「平成」の次の新たな元号を「令和」と発表。

菅義偉官房長官による、新元号発表の様子は、東京都の渋谷スクランブル交差点や大阪府の道頓堀にある大型ビジョンにも、大きく映し出され注目を集めました。

そこで、令和・和暦に関して情報をまとめましたので、ご覧ください。

今年の和暦だけ、先に↓↓↓こちらに記載しておきます。

今日は令和何年?西暦変換ツールなども

2019年の4月30日までは、平成が続きます。

2019年5月1日以降、令和となるので、ご注意下さい。

西暦変換ツール:西暦年数を和暦(明治~令和)に変換

西暦:
和暦:
    • 使い方
  1. 西暦の空欄に、検索したい西暦の年数を半角数字で入力して下さい。
  2. 「和暦へ変換」をクリック。
  3. 和暦の空欄に、指定した年の和暦が表示されます。

アルファベットでの表記方法

令和は、「Reiwa」と表記されます。 国の公文書では、ヘボン式ローマ字で表記されるため、ローマ字表記Reiwaとなり、今後は和暦の文字の並びは「M・T・S・H・R」となります。

その他の情報(おまけ)

令和何年かの計算方法は?

平成は、西暦(2000年以降)の下二桁に12を足せば、その年の和暦年数がわかりました。

では、令和は一体どうすれば、和暦年数を計算で求められるのでしょうか。

計算方法

令和の年数の計算方法は、西暦の下二桁から、18を引いた数が、その年の和暦になります。

逆を言えば、令和の年数に、18を足した数が、西暦の下二桁になるということです。

  • 令和3年:西暦2021年
  • 令和21年:西暦2039年

18という数字の覚え方

西暦と和暦を換算する時、いつも迷いがちな方、多かったのではないでしょうか。

「あれ、いま平成何年だっけ?」こんな悩みとは、もう令和時代から無縁になります。

まずはシンプルに、語呂で018(レイワ)という覚え方が、一番おすすめです。

他にも「18」という数字は、年齢で言えば、高校を卒業する年です。

また、選挙や就職(大学進学しない場合)、結婚(男性)、そして成人年齢もいずれ18への引き下げが、検討されています。

このように、子供から大人へと変わる節目の数字と考えれば、比較的覚えやすいですね。

西暦早見表や年齢変換をご紹介

西暦 和暦 年齢
1980年 昭和55年  
1981年 昭和56年  
1982年 昭和57年  
1983年 昭和58年  
1984年 昭和59年  
1985年 昭和60年  
1986年 昭和61年  
1987年 昭和62年  
1988年 昭和63年  
1989年 平成元年  
1990年 平成2年  
1991年 平成3年  
1992年 平成4年  
1993年 平成5年  
1994年 平成6年  
1995年 平成7年  
1996年 平成8年  
1997年 平成9年  
1998年 平成10年  
1999年 平成11年  
2000年 平成12年  
2001年 平成13年  
2002年 平成14年  
2003年 平成15年  
2004年 平成16年  
2005年 平成17年  
2006年 平成18年  
2007年 平成19年  
2008年 平成20年  
2009年 平成21年  
2010年 平成22年  
2011年 平成23年  
2012年 平成24年  
2013年 平成25年  
2014年 平成26年  
2015年 平成27年  
2016年 平成28年  
2017年 平成29年  
2018年 平成30年  
2019年 令和元年  
2020年 令和2年  
2021年 令和3年  
2022年 令和4年  
2023年 令和5年  
2024年 令和6年  
2025年 令和7年  

令和の意味とは何?

令和は、2019年5月から、平成の次の元号として使用されます。

日本初の元号とされている「大化」から、248番目の元号。

「令」という漢字が、元号に使われるのは初めてで、「和」は20回目です。

その歴史ある元号の中で、最も新しい令和についてご紹介していきます。

元号改定の経緯

元号改定の理由は、元号法規定の皇位継承によるものです。

2019年皇室典範特例法の規定に基づいた今上天皇陛下の御退位(4月30日)と、皇太子徳仁親王陛下の御即位(5月1日)によって、皇位継承が行われます。

この皇位継承日となる5月1日に、元号が「平成」から「令和」に改元される今回の出来事は、日本の憲政史上において、初の天皇陛下の御退位による皇位の継承となります。

令和の意味

■令和の意味
人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。
梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように。

■安倍首相の説明
厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたい、との願いを込めた

『万葉集』の巻五、梅花の歌三十二首の序文が、元となっています。

日本の古典から、元号が選定されたのは、確認されている限りで日本史上初の出来事。

「令」という漢字には、「令嬢」「令息」などで使われるように、「よい」という意味があります。

また「令」の漢字の成り立ち・構造から、「ひざまずいている人に申しつけている」という意味も持つことから、「命令」の意も含んでいます。

そのことから、令和を漢文的に訳すと、「和たらしむ」とも解釈可能です。

『万葉集』の巻五、梅花の歌三十二首の解説

■『万葉集』梅花の歌三十二首の原文

天平二年の正月の十三日に、師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。

時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫す。しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾く、夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封ぢらえて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。

ここに、天を蓋にし地を坐にし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然自ら放し、快然自ら足る。もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を述べむ。詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。

天平2年(730年)の正月の13日、歌人で武人の大伴旅人(おおとものたびと)の太宰府にある邸宅で、催された梅花の宴の様子を、歌ったものになります。

■現代語訳

天平2年の正月の13日、師老(大伴旅人・おおとものたびと)の邸宅(太宰府)に集まって宴会を行った。

折しも、初春の佳き月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香にように匂っている。そればかりか、明け方の山の峰には雲が行き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋をさしかけたようであり、夕方の山洞には霧が湧き起こり、鳥は霧の帳に閉じこめられながら林に飛び交っている。庭には春に生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋に来た雁が帰って行く。

そこで一同、天を屋根とし、地を座席とし、膝を近づけて盃をめぐらせる。一座の者みな恍惚として言を忘れ、雲霞の彼方に向かって、胸襟を開く。心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。

ああ文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。漢詩にも落梅の作がある。昔も今も何の違いがあろうぞ。さあ、この園梅を題として、しばし倭の歌を詠むがよい。

「新版 万葉集 一 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) 」

和暦や年号について

日本独自の紀年法である、元号制度の和暦または邦暦。

このような制度は、「一世一元の制」と呼ばれ、元号を君主(皇帝、天皇、国王)が在位している間は、変えないことが特徴です。

これと似た制度は、かつては東アジアを中心に、中国・ベトナム・韓国などで、広く行われていましたが、現在同じ制度を行っている国は、日本だけとなっています。

元号制度が始まったのは、大化の改新からと言われ、以来15世紀に渡って続いている制度ですが、現在の「一世一元の制」が、始まったのは明治時代からです。

それ以前、江戸時代などでは、天皇が在位中でも何度も改元することが、度々ありました。

戦後は、元号制度そのものを廃止にする動きも若干ありましたが、他国からの批判や国内での反対運動もさほどなく、止める理由が特になかったため、慣習的に今でも続いています。

もし今から止める場合、元号法によって法的根拠が、与えられているため、多くの制度変更などが必要となります。そのため、今さら止めるくらいならば、続けた方が楽と考える人が、政府関係者の間でも多数派の意見です。

続けることに、あまり深い意味はないようですが、まさに日本の象徴の1つとして、今もそしてこれからも、世界で唯一の伝統文化・元号制を日本は受け継いでいくことになります。

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