アメリカ人男性が14年前仙台駅で助けてくれた片腕のJR職員とは?恩人とのエピソードについても

ジャッド・クレイマーさんというアメリカ人男性が、14年前にお世話になった日本人男性に御礼を言いたいと恩人探しをしていることが、アメリカのオンラインメディア・ハフポストで紹介されました。

14年前にジャッド・クレイマーさんが経験したエピソードとは、その後、そのエピソードが彼の人生にどんな影響を与えたのか、などをまとめてみました。

クレイマーさんの忘れられない14年前の出来事とは?

クレイマーさんが14年間も忘れられずにいた出来事とは、一体何だったのでしょうか?

そのエピソードと、恩人である男性について触れていきます。

絶望的な状況を片腕のJR職員が救ってくれた

今から14年前である2005年の8月。当時18歳で、高校を卒業したばかりだったクレイマーさんは、日本に住む2人の友人の元を訪ねて初めて来日しました。

JRレールパス(訪日外国人向けの、JR各社の鉄道・路線バスが乗り降り自由な特別乗車券)を使い、築地市場や友人宅を巡ったクレイマーさん。

そして、友人宅がある横浜から、宮城県の松島に住む別の友人宅へ向かっていた2005年8月16日のこと。仙台駅で乗り換えをした直後、最大震度6弱の地震が起きたのです。

なんとクレイマーさんはそれまで地震を体験したことがなかったため、「頭上を走る新幹線の振動だろう」と思ったそうです。

ところが、周りの乗客が次々に降車していき、わけが分からないままクレイマーさんも駅員に促され、電車を降りました。

駅構内に避難している間に、アナウンスが流れるも、日本語であるため状況は依然呑み込めないまま。

周りに英語を話す人も見当たらず、不安と混乱でいっぱいだったクレイマーさん。

駅にあったテレビで地震のニュースを目にしたことで、やっと状況を理解したのだそうです。

そのうち、新幹線が運休になったとの知らせが流れました。

クレイマーさんはが持っていたレールパスはその日が有効期限だったため、翌日になれば新幹線に乗れなくなってしまいます。

現金もほとんどなく、かろうじて持っていたクレジットカードも外国のものであるため使えない。

焦ったクレイマーさんは、「今日中に帰らなければいけない」ということを仙台駅の駅員に必死に訴えました。すると、ある一人の駅員が助けてくれました。

英語は話せなかったそうですが、クレイマーさんが絶望的な状況にいるということを分かってくれた駅員の男性。

彼は、クレイマーさんを近くのホテルに連れて行き、部屋代を払ってくれたのだそうです。

更には、翌日仙台駅に戻るとその駅員が対応してくれて、使えなくなったレールパスの代わりに新しい新幹線のチケットを発行してくれました。

そのおかげで、クレイマーさんは無事に松島の友人宅へと行き着くことができたのです。

恩人のJR駅員はどんな人物?

クレイマーさんの恩人である男性の特徴は、

  • 英語が話せなかった
  • 30代くらいの若い男性
  • 片腕だった

ということだそうです。

ジャッド・クレイマーさんはどんな人物?

恩人探しをしているジャッド・クレイマーさん。一体どんな人物なのでしょうか?

実は、14年前に経験したエピソードが、その後の彼の人生に大きく影響を与えたそうなのです。

14年前の出来事が彼の人生に与えた影響

クレイマーさんは、14年前の出来事について次のように語りました。

「日本では、たくさんの人に親切にしてもらいました。しょっちゅう道に迷ったのですが、いつも誰かが助けてくれました。友人や友人の家族も、いつも僕のことを気にかけてくれました。

その中でも、仙台駅での出来事は忘れられない思い出です。それまで日本語を勉強しようと考えたことはなかったのですが、大学に入ってから日本語の勉強も始めました」

帰国したクレイマーさんは、ノースウェスタン大学に入学。

その後、プリンストン大学にて経済学の博士号を取得し、大学院在学中、ホワイトハウスで大統領経済諮問委員会に所属し、経済学者として働いていたそうです。

2018年から、日本人若手起業家が設立したスポーツベンチャー企業のコンサルティング業務を務めているクレイマーさん。

現在はハーバード大学にて、シェアリングエコノミー、労働経済、スポーツ経済などの研究をする合間に、講師としても働いているのだそうです。

この宮城駅での出来事がきっかけで日本語をの勉強を始めたことが、クレイマーさんの人生に大きな影響を与えたようです。

広まる恩人探しの輪

今年7月、クレイマーさんが再び日本を訪れたことで始まった恩人探し。

ですが、その恩人を見つけるのはなかなか困難なようで……。

恩人探しは難航

2019年7月、仕事で再来日したクレイマーさんは、ぜひ14年前にお世話になった恩人にお礼が言いたいと思い、来日してすぐに、JR東日本に問い合わせてみたそうです。

ところが、個人情報保護のため、有益な情報は得られませんでした。

クレイマーさんは、じかに仙台駅を訪ねてもみたそうですが、やはり残念ながら手掛かりは得られなかったと言います。

「あの頃は、日本語でどうやって感謝を表したらいいのか、わかりませんでした。日本語を勉強した今なら、日本のやり方でお礼が言えます。でもあの時は、きちんとお礼を伝えられないまま横浜に帰ってしまいました」

「もし会えたら、お礼をして、あの時にどれだけ助けられたかを伝えたい。そして、日本の人たちにとても親切にしてもらったことがきっかけで日本語を学ぶようになったことや、経済学者として日本発のビジネスに参画していることをご報告できたら嬉しいです」

とクレイマーさんは語っています。

SNSで広まるクレイマーさんの恩人探し

クレイマーさんの恩人探しを取り上げたハフポストの記事が、Twitterでは次々にリツイートされています。

恩人探しが叶う日を願って

まだ18歳だった青年が、見知らぬ土地、通じない言語、異様な状況でどんなにか心細かったことでしょう。

本来であれば、「日本に来て怖い思いをした」とネガティブなイメージが根付いてしまいそうなところです。

ですが、このJR職員の方の神対応が、クレイマーさんの中に「日本は親切だ」というイメージを印象付け、良い影響を与えてくれました。

そして、その出来事を14年間もずっと覚えていて、恩義を感じているクレイマーさんもまた素敵ですよね。

クレイマーさんの思いが届き、恩人との再会が叶う日を信じています。

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