山田スミ子の病気とは?山田花子との関係や結婚相手の夫は?若い頃の画像も

元吉本新喜劇で活躍し、往年は女優としても活躍された山田スミ子さんが、2月12日未明、兵庫県内の病院で亡くなったことが明らかとなりました。

山田スミ子さんが患っていた病気とはなんだったのでしょうか?また芸能界との関係は?さらには、経歴や夫についてなどご紹介していきます。

山田スミ子さんの病名は?直接的な死因について

山田スミ子さんの病気が発覚したのは、2017年頃でした。

果たして、山田スミ子さんを僅か1年と少しで死に追いやった病気とはなんだったのでしょうか?

山田スミ子さんの病名は直腸がん

山田さんの病名は、直腸がんでした。

直腸がんとは、肛門付近にある大腸に、がんが発生する病気のことです。良性のポリープや正常な粘膜から、がんが発生するため、非常に危険な病気と言われています。

女性では乳がんに次いで2番目に多いがんであり、原因は生活習慣や遺伝的な問題が絡んでいると考えられています。

山田スミ子さん母の介護の終了直後にがんが発覚

2017年までの10年間、98歳でお亡くなりになった母親の介護と女優業の両立で、満身創痍となっていた山田さん。

母親が亡くなった後、体の異変に気づき病院に行ったところ、直腸がんが発覚。すでに、かなり進行していたそうです。

がんであることを伏せ仕事を継続

がんであることが発覚したなら、そのまま手術・入院となるはずですが、山田さんはこのことを周囲の役者仲間や、家族にも伝えませんでした。

そして、「舞台のお仕事に穴をあけることはできない」と言って仕事を継続。亡くなる約1年前と半年前の昨年2月と8月にも、大阪市内で舞台出演しておりました。

事情を全く知らなかった事務所担当者は、この日の山田さんは、「身内にも、泣き言1つ言いませんでした」と当時のことを話します。

間寛平さんや山田花子さんなど芸能界との関係は?

長年、吉本芸人として活躍され、吉本新喜劇でもマドンナ役として活躍後、女優になり映画やドラマなどでも大活躍された、山田さん。

多くの著名人から追悼コメントが寄せられていましたので、ご紹介します。

また、山田花子さんとは、外見・名前などが似ていることから、親子ではないかと噂されることもありましたが、果たして実際の所はどうだったのでしょうか。

間寛平さんからの追悼コメント

山田さんの訃報を受けて、間寛平さん(69)はツイッターで、追悼コメントを発表されました。

新喜劇でお世話になっていた山田スミ子姉さんが亡くなっていたと知り、めちゃショックです

末成由美さんから追悼コメント

山田さんの訃報を受けて、6日、末成由美さん(72)が追悼コメントを発表されました。

「スミ子姉さんには色々教わりました。一緒に活動していた当時は『女は笑いを取らなくてもいい』とされていた時代でした。そんな中で活躍されているスミ子姉さんの姿を見て、私も頑張ろうといつも励まされておりました」

「今、女性座員が活動できているのはスミ子姉さんが道を築いてくださったからこそだと思っています。新喜劇を去ってからも陰ながら活躍は拝見しておりましたので、このような知らせを聞き残念です。逝かれるのはあまりにも若すぎます。ご冥福をお祈りしております」

昔、山田花子さんのポジションに立っていたのが山田スミ子さん

今や大活躍されている山田花子さん。女性お笑いタレントとして、今の彼女のポジションを最初に作られたのが、山田さんでした。

親子ではありませんが、顔が似てることや芸名の名字が同じことなど、共通点は多々ありますが、一番大きな共通点は、その芸風だったり新喜劇での愛らしいマドンナとしての立ち回りでした。

また、山田花子さんは小柄な体が印象的ですが、山田さんも全く同じで小柄な女性でした。身長は、山田花子さんが150㎝に対して、山田スミ子さんも155㎝とかなり体格も似ています。

山田スミ子さんの夫や家族は?

73歳で死去した山田さんですが、結婚相手の夫がいることは、離婚も含めてその事実は一切確認できませんでした。

お兄さんはおられるようですが、満身創痍になりながら、母親の介護と仕事を両立していたことから、生涯を独身でその人生を終えられたようです。

しかしその人生は、決して孤独なものではなく、多くの芸能界の仲間や友人たち、そしてファンに支えられた明るいものでした。

山田スミ子の経歴・プロフィール

山田スミ子の経歴・プロフィール

かつては、吉本新喜劇の女優としても活躍され、女性初の座長も務められた山田さん。

最初は、宝塚映画の子役としてデビュー。そこから、様々な分野で活躍され、数多くのTV番組、ドラマ、映画、CMなどにも出演されました。

そんな山田さんの経歴をご紹介します。

山田スミ子さんの人生

幼い頃から子役として宝塚映画製作所などで活躍していた。
1968年4月に、吉本新喜劇に入団。主に、花紀京や岡八郎のマドンナ役を務め、1982年頃までレギュラー出演した。初の女座長。

『あっちこっち丁稚』での「あかんて言うてんのが、分からへんのんか?!」や「あかん言うてますのに、どないやねんな?!」と、ヒステリックなセリフを言い放ち、前田五郎をビンタする事は有名。

その際、木村明が赤い褌姿で、舞台を平泳ぎしながら走り抜けるというシュールな演出は番組の名物となる。夏休みには、木村明が赤い褌の子供達を従えて登場することが名物となっていた。

またその切れる芸風は、未知やすえに受け継がれている。
新喜劇時代には山田が大声を張り上げると周りの俳優がコケる、というギャグがあった。

横山やすし・西川きよしの『やすきよ笑って日曜日』では、やすしの妻役として出演(持ち前のツッコミで、彼を圧倒した)。これが縁で、同日の『ザ・テレビ演芸』のアシスタントとして、病気療養中だった堀江しのぶ(この後、病没)のピンチヒッターを務めたこともある。

2019年2月12日、直腸がんのため永眠。73歳没。生涯独身。

山田スミ子さんの出演作品

新喜劇時代には山田さんが、大声を張り上げると周りの俳優がコケる、というギャグもありました。

他にも、あっちこっち丁稚という作品で、「あかんて言うてんのが、分からへんのんか?! 」「あかん言うてますのに、どないやねんな?!」と叫んで、ヒステリックなセリフを言い放ち、前田五郎さんをビンタするシーンもありました。

山田スミ子さんの若い頃出演したCM

今でも有名な花王の石鹸のCMに出演されていた、山本さん。

新喜劇のイメージが強い山本さんが、スーツをバシッと着込んでいる姿が印象的な映像です。

ネットでの追悼コメント

 

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