燃えた首里城は再建されたレプリカで復元可能?首里城の火災の歴史と世界遺産の指定箇所について

10月31日未明、首里城が燃えているというニュースが飛び込んできました。

世界遺産として認定されている首里城のうち、燃えているのは正殿、北殿、南殿です。

出火原因と首里城祭りの関係や、復元について調べてみました。

世界遺産首里城に火災が発生

10月31日午前2時21分、首里城正殿から自動火災報知機による火災警報が消防局に知らされました。

那覇市内の消防隊15隊、56名が消火活動にあたり、他の市からの応援もあり総勢100名体制で消火に当たっています。

火の手は大きく広がり、夜空を赤々と照らしました。

残念ながら、6棟が焼け落ち、4200平方メートルが消失しました。

現在は焼け焦げた骨組みだけが残っている状態です。

死者やけが人が出ていないのが唯一の救いなのかもしれません。

出火原因と首里城祭りの関係は?

現在、消防が出火原因を探しており、ハッキリとしたことはわかっていません。

ただ、ガソリンや油などの形跡がないことから、放火の可能性は低そうです。

今言われている可能性が高いのは、ノートルダム大聖堂と同じ、電気系統からの出火です。

現在、首里城祭りというイベントが行われており、昨夜も未明まで催し物の準備を行っていたそうです。

もしかしたら、イベント用に用意した電気系統でショートが起き、発火したのかもしれません。

また、首里城祭りの名物として「首里城万国津梁の灯火」というイベントが行われる予定になっていました。

これは、世界平和を願って一万本以上のキャンドルを首里城のいたるところに灯すというものです。

まだキャンドルの準備もされていなかったということで、これが原因というわけではなさそうです。

ネットでは、出火情報のデマに惑わされないようにという注意情報も回っています。

また、野次馬などで首里城に近づくと二次災害に巻き込まれる可能性もありますので、むやみに近づかないようにして下さい。

燃えた首里城は再建されたレプリカ?これまでに何度も火災にあった首里城

首里城は琉球王国の象徴として、沖縄県内最大規模の城として有名な観光名所になっていました。

二千円札の裏に描かれたり、世界遺産に登録されたりと、世界に愛される城でもありました。

しかし、現在の首里城は復元されたものであり、これまでに何度も火災の被害にあっています。

首里城火災の歴史

首里城は13~14世紀ごろの創建ではないかといわれており、創建年は明らかになっていません。

琉球王朝ができた時に王家の居城として用いられていました。

記録に残っている限り、4度の焼失があり、今回の火災で5度目になります。

  • 1453年 志魯・布里の乱で焼失(尚金福王死去後の王位争い)
  • 1660年 二度目の焼失(再建に11年)
  • 1709年 三度目の焼失
  • 1945年 太平洋戦争で砲撃を受け焼失

1992年に再建された首里城

世界遺産が燃えてしまった!と衝撃を受けていますが、実は世界遺産に登録されたのは「琉球王国のグスク及び関連遺産群」ということで、首里城の正殿・北殿・南殿が指定されていたわけではありません。

今回焼失してしまった建造物は1992年に再建されたものです。

しかし、近年まで周囲の建築物などの再建が行われており、30年以上かけて首里城公園全体の復元が完成したばかりの出来事でした。

火災を目にした漆職人は「十数年かけて漆を塗り終わったと思ったら全部焼けてしまった」と語っています。

首里城の再建はいつごろ?

首里城の復元を担当した琉球大の高良名誉教授は、2019年2月に御内原エリアの復元を終えたばかりだと語っています。

資料が少ない中で多くの人が復元作業に従事し、苦労を重ねてきました。

今回の復元作業は30数年かかったということで、おそらく同じ程度の年数をかけて復元作業が行われると思いますが、関係者はまだ何も考えられないと肩を落として射ます。

白煙くすぶる首里城

出火の確認から8時間経過した10時現在も、まだ完全沈火には至らず、白煙が上っています。

本日の首里城公園は臨時休園が発表され、近隣の学校では登校時間が変更となり、保護者の付き添いの下登校する児童の姿も見られました。

沖縄県のシンボルと言われていた首里城の焼失は、県民のみならず日本全体に大きな衝撃を与えました。

今後消防より会見が行われるそうですが、いち早い原因の究明と再建が待ち望まれます。

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