日本テレビ系朝の情報番組『スッキリ』にて、特別企画3DAYSとして「不妊治療と家族のかたち」が放送されました。
2019年7月11日(木)は3日目「妻たちの選択」について取り上げられました。
不妊症と戦う人たちをこれまで取り上げてきましたが、最終日は、不妊治療の先の選択をした女性たちの特集です。
長期の不妊治療を経験した陣内貴美子さんと武内由紀子さんのお二人のした選択を紹介します。
目次
治療をやめ、夫婦二人の道を選んだ陣内貴美子

陣内貴美子さんは現在55歳、不妊治療をやめてから10年が経過しました。
陣内さんは元バトミントン選手で、バルセロナオリンピックでは日本代表として出場をしています。
2000年に元プロ野球選手の金石昭人さんと結婚。
現在は日テレ系夕方のニュース番組「news every.」のキャスターとして活躍しています。
陣内貴美子の不妊治療
結婚してすぐに子供ができると思っていた陣内さん夫婦は、自分たちを「父ちゃん」「母ちゃん」と呼び合う仲です。
子だくさんの肝っ玉母ちゃんになりたかったという陣内さんは、子供がなかなか授からなかったので39歳の時に治療を開始しました。
タイミング法から人工授精までを行いましたが、一向に妊娠の気配は見られず。
治療から3年たった時、子宮内膜症の手術をしたときに、卵管のねじれが発見されたのです。
通常は、精子は卵管を通って卵子の元にたどり着くのですが、陣内さんの場合はねじれているので、精子が卵管の途中で止まってしまい、受精ができませんでした。

42歳の時に不妊の専門機関にかかり、体外受精を3回し、顕微授精にたどり着きました。
なかなか結果の出ない中、ご主人の金石さんが「45歳の誕生日で最後にしよう」と提案がありました。
誕生日の半年後、12月に最後の治療をすることにしましたが、結果は妊娠に至ることはありませんでした。
精神的に追い詰められていた日々と治療をやめる決断
陣内さんは治療の期間、精神的にとてもきつかったそうです。
治療をしていた10年前はまだ不妊治療が一般的ではなく、ごく一部の知人にしか不妊のことを告知していませんでした。
生活の大半が不妊治療に費やさる日々、でも赤ちゃんに会えるならと頑張っていました。
そんな中、何も知らない友人に「お前ら何やってんだよ、早く子供作れよ」という言葉に傷つく陣内さん。
するとご主人は「母ちゃん、こんなことしてる場合じゃない。帰ろう」と連れ出してくれたそうです。
こんなことを言われた日にちょうど生理中だと、帰りの車の中で陣内さんは泣いていたそうです。
仕事しなきゃいけない、笑ってなきゃいけない、でも生理が来てしまった。
この時の落ち込み方はすごかったと説明していました。
不妊治療をやめる決断
不妊治療の期間を、陣内さんは電車に例えて話してくれました。
「自分が電車に乗って目的地にいくと駅がありますよね。
そこに行った時に、必ず赤ちゃんが待っていてくれるだろうと思うんです。
だけど、行ってみると赤ちゃんはいない。
じゃあ、次の駅に行ったら赤ちゃんは待っててくれるんじゃないか。
(電車に)乗っていくけどそこにもいない。
また行くけどいない、その繰り返し。
降りる駅がわからないんです」
大きなプレッシャーに押しつぶされそうになった陣内さんに、夫の金石さんが治療をやめる提案をしました。
金石さんは、精神的に追い詰められている陣内さんを心配していたのです。
「これだったらもう母ちゃんの方が心配だから。
これはもう、2人で生きていけってことなんだ」
金石さんの言葉を受け、陣内さんはホッとした気持ちと、金石さんに申し訳ない気持ちになったそうです。
自分じゃなかったら夫に子供ができていたのかもしれない、と考えたこともあるそうですが、金石さんは「いらーん」と軽く答えてくれるそうです。
治療をやめた10年間

親戚の子どもや友人の子どもなど、自分たちの子どもと同じだと考えられる子がいるという陣内さん。
生まれた時からみているので、成長するのが楽しみという一方、辛い思いも抱えていました。
子どもみたいだけれど、自分の子ではない。
母の日や父の日などでより実感してしまうそうです。
また今年、父の日に友人の子どもが金石さんに父の日の贈り物をしたそうですが、そのメッセージを大切そうに切り抜く姿にぐっとくるものがあった陣内さん。
これから、何度も何度も通る道なんだと自分に言い聞かせ、永遠に消えることのない「子どもが欲しい」という思いと生きていくそうです。
特別養子縁組を決めた武内由紀子

武内由紀子さんは現在46歳。
大阪パフォーマンスドールとしてデビューをし、1995年に今田耕司と東野幸治と結成した「WEST END×YUKI」として「SO.YA.NA」をリリース。
現在はタレントとして活動をしながら、2001年に結婚した7歳年下のご主人と、特別養子縁組で迎えた男の子と生活しています。
武内由紀子の不妊治療
40歳という遅い結婚だったので、すぐに不妊治療を開始しました。
治療をすればすぐにできると思っていたという武内さん。
4年間の不妊治療で、採卵20回、受精卵を子宮に戻すこと8回、着床3回という結果をだしました。
しかしすべて失敗に終わり、医師からは原因がないのが原因と言われてしまいました。
一番の原因は、自身の年齢なのかもしれないという武内さん。
44歳の時に、自分からもうやめようと決断をし、最後の受精卵が着床しなかったことで、すっぱり諦められたそうです。
特別養子縁組を探し始めた武内由紀子
最後の治療で妊娠を諦めた武内さんは、すぐさま病院の待合室で特別養子縁組を検索したそうです。
武内さんが選択をした特別養子縁組とは、実親と子供の親子関係を解消し、養親と法的に実子と同様にすることです。
子どもと養親との仲介は、児童相談所、医療機関、民間団体が行っています。
制度を利用するためには、それぞれの団体で異なる条件があるのですが、ここでは武内さんが養子縁組をした時の条件を紹介します。
- 親の年齢制限(子どもが成人するまで、経済的、体力的に育てられる45歳まで)
- 費用の負担※民間団体の場合(研修費、登録料、出産費用あわせて30万~170万円)
- 子どもへの真実告知(団体によるが、他人からの意図せぬ告知で子供が傷つかないように、早めに養親と養子である事実を伝えること)
半年間の研修を受けて、養親候補として本登録をした武内さん夫婦の元に、連絡が来たのはさらに半年後のことでした。
養子を迎えて1年の生活は?
誕生してから1週間足らずで武内さん夫婦の元に赤ちゃんがやってきました。
武内さんは、自分が養子縁組をしたことをすぐにメディアに公表しました。
それは、自分が養子縁組を考えた時に、情報が少なくて困ったことが理由だそうです。
養子を迎えることは普通なんだということ、そして、養子の子を育てるということは普通にあるということ、これが多くに人に伝わればいいという気持ちで公表したそうです。
実際に迎えるにあたっては
「血のつながりがないから、将来大丈夫かなとか、うまくいかないんじゃないかと不安が大きかった」
と心の内を語ってくれた武内さん。
しかし、いざ迎えてみると悩む暇がないほど子育てが大変で、もう自分が母親であるし、この家の子どもになっていると実感しているそうです。
赤ちゃんとの生活は、他では考えられないくらい普通で、1ミリも不安に思わないくらい日常になっているそう。
一歩踏み出したら幸せな人生が待っていますと、幸せそうに語ってくれました。
不妊治療の終わりが見えない
はっきりとした不妊の原因がわかる人もそうでない人も、治療の期間は身体的にはもちろん、精神的にも負担がかかります。
治療の結果、子供を授かった人もいますが、長い間授かることができない人もいるのです。
不妊治療はいつ終わりがくるのか、まるで見えない闇の中にいるようだと表現されることもあります。
年齢なのか、金銭的な問題なのか、治療をやめる判断をするのはそれぞれの事情によって違います。
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