シリーズ完結作となる『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』も公開され、世界中で大きな盛り上がりをみせている映画スターウォーズ。
この壮大な物語の創造主といえば、映画監督のジョージ・ルーカスです。
今回はそんな彼にフォーカスを当て、これまでの経歴や偉業の数々、そして日本との意外な関係をご紹介します。
もちろん『スター・ウォーズ』の誕生秘話についても触れているので、ぜひこの機会に知識を深めてみてください。
目次
ジョージ・ルーカスとはどのような監督なのか?
ハリウッドのアウトサイダー?
『スター・ウォーズ』シリーズの全世界累計興行収入は、現在までに1兆円を超えるとされています。これだけの超大作を生み出したジョージ・ルーカスですから、さぞかしハリウッドのメインストリームで活躍してきたのだろう、と多くの人は思うかもしれません。
しかし、ルーカス監督はそのキャリアの始まりから異端児でした。
そもそも学生時代からヨーロッパの前衛映画に感化されていた彼は、既存のスタジオ・システムのあり方に対して疑問を抱いていたのです。
それゆえ、みずから映画制作会社であるルーカスフィルムを立ち上げ、ハリウッドのメジャースタジオに依存しない体制を作りました。
『スター・ウォーズ』第1作の制作時、ルーカスは20世紀フォックスに対して自身のギャラを削ることと引き換えに、続編の制作を保証することを求めました。
事実、この作品の成功による莫大な収入を資金源として、ルーカスフィルムは思う存分に続編を手掛けることができたのです。
仮にこうした独立体制が準備されていなければ、『スター・ウォーズ』という映画は公開されなかったか、もしくはまったく別の作品になっていたことでしょう。
ルーカスという人は徹頭徹尾、ハリウッドという巨大なシステムの外にいたのです。
映画制作のあり方を変えた?
ジョージ・ルーカスの功績は、なにも『スター・ウォーズ』を生み出したことだけではありません。
上述したルーカスフィルムの代表として、彼は映画の技術発展に貢献してきました。たとえば、世界初のノンリニア編集システムを開発したのはルーカスフィルムです。
それまでの映像編集は、フィルムを切り貼りしてつないでいくというアナログな方法で行われていました。
これを同社は一新させ、任意の場所を参照して編集することができるコンピュータソフトを開発したのです。現在使われている動画編集ソフトの先駆けとして、この発明は革新的なものでした。
こうした映像技術を開発するため、ルーカスは自社の傘下にSFXの開発部門「ILM」(インダストリアル・ライト&マジック)を設立しています。
1970年代当初、二十代を中心とする若手クリエイターたちを集め、コンピュータを駆使した新たな表現の可能性を研究したのです。
その成果は『スター・ウォーズ』シリーズだけでなく、多くのハリウッド映画にもたらされました。
『タイタニック』も『ハリー・ポッター』も『パイレーツ・オブ・カリビアン』も、すべてこのILMが視覚効果を手掛けた作品です。
ちなみに、かつてのILMにはあのジョン・ラセターも所属していました。1986年に同社のコンピュータ部門はスティーブ・ジョブズによって買収され、「ピクサー」の社名で独立することになります。
そして1995年にはラセター監督のもと『トイ・ストーリー』が公開され、ピクサーは世界最高峰のアニメーションスタジオとなっていくのです。
『スター・ウォーズ』はどのようにして生まれた?
『スター・ウォーズ』の元ネタは神話だった?
ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』の物語を構想したのは1970年代のこと。約3年かけて脚本を練るなかで、彼は古今東西の物語を渉猟しました。
なかでも参考にされたのが、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルの著書でした。
その主著『千の顔をもつ英雄』のなかで、キャンベルは世界中に伝わる英雄譚の構造をまとめあげています。
それによると、多くに英雄譚に共通する要素として、日常から非日常への旅立ちがあるとされます。その旅の中で英雄は指導者との出会いや試練を経験し、自分自身の大きな使命と向き合うことになる、と。
そして、その使命を全うした英雄はふたたび日常へと戻っていき、社会に恩恵を与えるというのです。
こうした構造は、神話だけでなく多くの文学作品がもつ構造と言えるでしょう。たとえばJ・R・R・トールキンの『指輪物語』では、主人公のフロドが闇の勢力を滅ぼすため冒険の旅に出ます。
聡明な魔法使いガンダルフを始めとする仲間たちと協力し、冥王サウロンの脅威を退け、「一つの指輪」を破壊して故郷へと帰っていくのです。
まさに『スター・ウォーズ』の物語は、これと同じ骨格を有しているといえるでしょう。
ガンダルフはオビ=ワン・ケノービに、冥王サウロンの軍勢は銀河帝国に置き換えられるかもしれません。とはいえ、こうした一致は単なる借用というよりも、むしろルーカスが普遍的な物語を作ろうと苦心した結果なのであり、だからこそ『スター・ウォーズ』は世界中を魅了したのです。
巨匠・黒澤明が影響を与えた?
『スター・ウォーズ』を語る上でしばしば触れられるのが、日本との関係性です。といっても、オビ=ワンの名前の由来が「黒帯」であるとか、ヨーダのモデルが依田義賢であるとか、なかには憶測の域を出ない話も多分に含まれています。
それでも間違いない情報があるとすれば、それは黒澤明からの影響でしょう。特に有名なものとして『スター・ウォーズ』第1作が、黒澤の『隠し砦の三悪人』を下敷きにしているという事実があります。
この作品でいわゆる狂言回し的な役回りをする2人の百姓、太平と又七がそれぞれC-3POとR2-D2のモデルだというのです。
言われてみると、彼らのひょうきんな性格や背格好がよく似ています。
それだけでなく、隠し砦から姫を連れ出して仲間にするという流れも、デス・スターからレイア姫を救出して一緒に戦うという『スター・ウォーズ』のプロットと一致します。
ちなみに、この事実はルーカス本人も認めており、後に黒澤と面会した際にも直接話したそうです。
なにせ世界のクロサワです。『スター・ウォーズ』に限った話ではありませんが、その反響音は至るところに聞き取ることができるでしょう。みなさんも目を皿のようにして探してみてはいかがでしょうか。
『スター・ウォーズ』は当初から9部作構想だったのか?
2019年の第9作『スカイウォーカーの夜明け』で大きな区切りを迎えた『スター・ウォーズ』ですが、これは初めからジョージ・ルーカスの思い描いた構想だったのでしょうか?
その答えはイエスでもあり、ノーでもあります。
まず断っておかなくてはいけないのは、2015年から順次公開された続三部作(シークエル・トリロジー)『エピソード7・8・9』が、ルーカスのほとんど預かり知らないところで制作されたということです。
あくまでも今回の三部作は、2012年にルーカスフィルムがウォルト・ディズニー・カンパニーによって買収されたことで生まれた企画。
もはやルーカスは制作を統括する立場にはありませんし、事実として彼が提案したストーリーアイデアは、ディズニーによって却下されています。
それを踏まえた上で述べるなら、たしかに当初の構想として、ルーカスは9部作を思い描いていたはずです。
1970年代に『スター・ウォーズ』の企画を立てた段階で、彼の頭には壮大な物語がありました。しかし、あまりに長大で一本の映画には収まらない量だったため、彼はそれを3つに分割し、最も盛り上がる部分を最初の三部作として公開したのです。
その後、ルーカスの発言は二転三転しており、どの程度までアイデアが煮詰められていたのかは定かではありません。
いずれにせよ、ディズニーによって続三部作が作られたことでルーカスの構想は立ち消えてしまったのです。
ジョージ・ルーカスによる『スター・ウォーズ』続三部作の評価
ディズニーによる買収劇によりルーカスの構想は立ち消えてしまったかもしれませんが、彼の意志に反するものだったわけではありません。
ルーカスは『スター・ウォーズ』を存続させるために、あえて権利を売却したのです。
ディズニーという世界最大のコンテンツホルダーのなかで、自身の死後も『スター・ウォーズ』の物語が紡がれていくことを、ルーカスは願っているのでしょう。
事実として、彼は『エピソード8/最後のジェダイ』の仕上がりに賛辞を送っており、『エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』ではエイブラムス監督に助言も与えています。
ジョージ・ルーカスの経歴を紹介
ここでジョージ・ルーカスの経歴を詳しく紹介しておきましょう。
監督デビューと『スター・ウォーズ』の公開を転換点として、大きく3つの時期に分けています。
映画監督になるまで
ジョージ・ウォルトン・ルーカス・ジュニア(George Walton Lucas, Jr.)は、1944年にカリフォルニア州モデストで生まれました。(2019年現在75歳)
文房具店を営む厳格な父に育てられた彼でしたが、学業の成績はすこぶる悪く、唯一の特技は絵を描くことだけ。テレビとコミックを愛する内気な少年でした。
高校に入るとカーレースに夢中になり、一時期はプロのレーサーになることも考えたといわれています。しかし、卒業直前に自動車事故を起こし、意識不明の重体に。
奇跡的に回復したものの、これがきっかけでレースへの興味を失ってしまいます。
息子に店を継がせたい父と対立し、卒業後は南カリフォルニア大学の映画学科へと進学。仲間とともに映画作りに熱中します。
また、後の戦友スティーブン・スピルバーグと出会ったのもこの時でした。ルーカスは大学の課題として制作した処女作『ルック・アット・ライフ』で才能の片鱗を見せ、卒業制作のSF短編『電子的迷宮 THX-1138 4EB』でも注目を浴びます。
この作品が学生映画祭でグランプリを獲得したことで、大学卒業後、ルーカスは奨学生としてワーナー・ブラザースのスタジオを訪れることになります。
そこで出会ったのがフランシス・フォード・コッポラでした。ルーカスより5歳年上の彼は、すでに業界内で新進気鋭の存在。
そんなコッポラと意気投合したことで、ルーカスは運命を大きく変えることになります。
監督デビューから『スター・ウォーズ』まで
1969年、ルーカスとコッポラは共同でアメリカン・ゾエトロープ社を設立します。
この独立スタジオで、ルーカスは卒業制作を長編にリメイクした『THX 1138』を制作し、ついに商業映画デビューを果たします。しかし、その前衛的な作風が大衆に受け入れられず、興行的には失敗。
それでも彼は自身の会社ルーカスフィルムを設立すると、コッポラをプロデューサーに迎えて次の映画制作へとこぎ着けます。
こうして1973年に公開された青春映画『アメリカン・グラフィティ』は全米で大ヒットを記録し、ルーカスは一躍その名をとどろかせることになります。
次に彼が企画したのは、幼少期に親しんだSFシリーズ『フラッシュ・ゴードン』の映画化でした。しかしその権利を得ることが出来なかったため、残念ながら企画は頓挫してしまいます。
その代わりとしてルーカスが企画したのが、自身で脚本を書き下ろしたSF作品『スター・ウォーズ』でした。
複数の映画会社が失敗作になると踏む中、唯一20世紀フォックスだけがその企画を受け取り、ルーカスは満を持して制作に乗り出します。
こうして1977年、関係者の不安のなか『スター・ウォーズ』は公開されたのです。
『スター・ウォーズ』の公開以降
こうして『スター・ウォーズ』が世界的なヒットを記録したルーカスですが、その制作で心労もたたったのでしょう、第2作と第3作では監督の座を譲り、製作総指揮としてシリーズを率いることになりました。
一方、そんな中で生み出されたのが、1981年の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』です。
自身のアイデアをもとにスピルバーグが監督を務めたこの作品も成功を収め、以降シリーズ化されていくことになります。
その後も彼は様々な作品のプロデュースを行い、ルーカスフィルムの代表として制作技術の発展にも寄与していきます。
また、1999年からは16年ぶりとなる新たな『スター・ウォーズ』続三部作(プリクエル・トリロジー)を制作し、自信も監督業に復帰。その健在ぶりを見せつけました。
そして2012年、彼はルーカスフィルムをウォルト・ディズニー・カンパニーに売却します。
これにより『スター・ウォーズ』や『インディ・ジョーンズ』の権利も同社が有することになりました。
ジョージ・ルーカスの作品解説
ジョージ・ルーカスの作品は『スター・ウォーズ』だけではありません。ここでは彼の代表作をいくつか紹介しておきます。
『THX 1138』(1971年)

ジョージ・ルーカスの劇場デビュー作品。25世紀のディストピアを舞台に、番号で管理された主人公「THX-1138」が地下都市からの脱出を図る物語です。
全体を通して重苦しい雰囲気が漂い、前衛的な作風が特徴のこの作品。興行としては失敗に終わりましたが、現在ではDVD化もされており、ルーカス監督の処女作としてカルト的な人気を得ています。
本作に登場する、仮面をつけ長い警棒を持った警察たちは、どこかストームトルーパーやダース・ベイダーの姿と重なります。管理社会の描かれ方も銀河帝国を想起させますし、すでに処女作で『スター・ウォーズ』への布石は敷かれていたと考えることもできます。
『アメリカン・グラフィティ』(1973年)
前作とは一転し、高校生活の終わりを描いたノスタルジックな青春映画。ルーカス監督自身の学生時代がモデルになっており、カーレースの場面などにその体験が活かされています。
4人の若者が起こす一晩の出来事が並行して描かれており、明確なストーリーラインが存在しないことから、製作会社のユニバーサルは当初興行を危惧していたといいます。
しかし、ふたを開けてみると大ヒットを記録。ルーカスの名を広く知らしめることになりました。
『インディ・ジョーンズ』シリーズ(1981年~)
考古学者インディアナ・ジョーンズの冒険を描いた作品。原案はジョージ・ルーカスとスティーヴン・スピルバーグで、製作総指揮をルーカス、監督をスピルバーグが務めています。
そもそも『未知との遭遇』の制作を終えたスピルバーグのもとに、ルーカスがアイデアを持ち込んだことがきっかけで生まれました。テレビシリーズのほか、現在までに4本の映画が公開されています。
ルーカスは関与していませんが、2021年には映画第5作の公開も予定されています。『スター・ウォーズ』と同様に、こちらも公開が待ち遠しい作品といえるでしょう。
まとめ
今回はジョージ・ルーカスの人物像にフォーカスを当てました。2012年に大規模な映画制作からは身を引くことを発表し、『スター・ウォーズ』の権利もディズニーに売却してしまった彼ですが、これで完全に映画業界から引退したわけはありません。
今後も小規模の作品は製作していくでしょうし、ディズニーにも何らかの形で関わっていくかもしれません。
そして何よりも、彼の創造した『スター・ウォーズ』の世界はこれからも続いていくのです。フォースが親から子へと受け継がれていったように、『スター・ウォーズ』に込められた意志も、あらたなクリエイターと、あらたなファンによって、永遠に導かれていくのではないでしょうか。
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