松本潤主演『永遠のニシパ』無料で見逃し配信動画を観る方法!深田恭子も出演の北海道150年記念ドラマのあらすじ

2019年7月15日(月)の夜にNHKで『永遠のニㇱパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~』が放送、主演を嵐の松本潤さんが務めます。

北海道で撮影された美しい映像が見どころ、濃厚な重みのある歴史ドラマにもなっています。時代劇で登場人物が交錯するので、ネタバレを含むストーリーを紹介。

また、放送を見逃した方のために、『永遠のニシパ』のフル動画を無料で視聴する方法をお教えします!

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『永遠のニシパ』作品紹介

2019年7月15日(月)19時30分~NHKで『永遠のニㇱパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~』が放送されました。

北海道命名150年記念ドラマとして制作された今作は、松浦武四郎を松本潤さん、アイヌの女性を深田恭子さんが演じました。北海道という名前を命名した松浦武四郎をモデルに描かれる物語です。

脚本は大石静さん、音楽は梶浦由記さん、そして語りは、歌手の中島みゆきさんが務めます。

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『永遠のニシパ』登場人物・キャスト紹介

松浦武四郎(まつうら たけしろう)/松本潤

主人公。幕末の蝦夷地を調査し、北海道と名付けた。

リセ/深田恭子

アイヌの女性。

エカシ/宇梶剛士

アイヌの長老。リセの養父。

大久保利通(おおくぼ としみち)/江口洋介

新政府参与。

鍋島直正(なべしま なおまさ)/小日向文世

初代開拓使長官。

その他、出演者一覧

  • 木村彰吾
  • 山田良明
  • 石井正則
  • 筧利夫
  • 西村まさ彦
  • 斎藤歩
  • 石倉三郎
  • 有薗芳記

 

出典:https://www.nhk.or.jp/sapporo/nispa/

『永遠のニシパ』あらすじ・ネタバレ

この先は、ネタバレを含むあらすじとなります。

1845年、松浦武四郎は蝦夷地の地図を作るため箱館へやってくる

北海道はアイヌ語でヤウンモシリと呼ばれ、幕末までは蝦夷地と呼ばれていました。松浦武四郎(松本潤)は、幕末に6度にわたって北の大地の調査に入り、明治2年に北海道という名前を提言した男です。

弘化2年(1845)、武四郎は初めて蝦夷地(えぞち)に渡り、箱館にやってきました。明治維新の23年前、北海道が蝦夷地、函館がまだ箱館と呼ばれていた頃です。ロシアからの船がたびたび北海道に現れるようになっており、武四郎は国を守るために詳しい地図を書こうと思い立ちました。

髪を頭の後ろで結い、薄手の着物を着た武四郎は、床に地図を並べて悩んでいます。まげを結った中年の男、新堂左七郎(石倉三郎)がその部屋へと入ってきました。武四郎は「寄るでない!」と制し、この地図は“蝦夷(えぞ)測量図”の写しだと告げます。

武四郎は左七郎に銭を差し出し、「内陸の絵図を作るため、蝦夷地を知り尽くした案内人を手配して欲しい」と頼みました。

左七郎から案内人は手配できるが、手形(通行証)はどうするのかと尋ねられます。当時、箱館周辺の和人が住む土地と、それ以外の蝦夷地は区別され、許可なく人が入れる場所ではありませんでした。

武四郎は左七郎に、「そなたは蝦夷地で一位二位を争う商人であろう、何とかしてくれぬか」と頼み込みます。出発の日、左七郎は手形を武四郎に差し出しました。新堂屋の従業員・吉兵衛という偽名で手配してくれたのです。

左七郎は、この国のことを憂いて蝦夷地にまで来た武四郎への餞別だと手渡しました。新堂屋の従業員・六之助(有薗芳記)をお供に付けてくれることになり、道案内にはアイヌの若者を手配してくれました。

未開の地・蝦夷地の旅が始まる

武四郎は吉兵衛として、六之助とともに蝦夷地へと入って行きました。川沿いで2人を待っていたのは、アイヌのウテルク(木村彰吾)という男でした。

武四郎たち3人は、一日に15里(60キロ)を歩き、歩数で距離を数えながら、地図を書いていきました。シコツ沼(支笏湖)の側にある滝では、祈りを捧げるウテルクの姿を絵に描き、その後も武四郎は風景を絵に残していきました。

旅を続けた武四郎は、北海道の東・知床峠まで探索し、太平洋側を回って帰ってくるルートを取ります。アイヌ語の言葉の響きが残る地名を書き記しながら、地図を描いていきました。

長い旅を続けていたある日、武四郎は海の向こうに半島が見える絶壁にたどり着きます。案内人の若者・ウテルクは「ピリカ…うつくしい…」と呟きました。和人の言葉を話せるウテルクに驚き、武四郎は喜びます。武四郎は目の前に広がる大海原に「ピリカー!」と大声で叫びました。

武四郎は樺太探検に出かける

翌年、武四郎は北海道の北にある樺太(からふと)を目指しました。当時、樺太を和人は北蝦夷地(きたえぞち)と呼んでいました。北蝦夷地では、若い働き盛りのアイヌが力ずくで働かされており、武四郎は暴力を受ける姿を目の当たりにします。

武四郎は愕然とし、血を流しているアイヌに薬を手渡そうとしますが、役人に止められてしまいます。その夜、商人の湊屋彦兵衛(斎藤歩)から豪華なもてなしをうけますが、アイヌが働かされて取ったものだと思うと、箸が進みません。

湊屋(みなとや)は、運上金という年貢を松前藩から取られており、アイヌを働かせないとやっていけない、悪いのは商人ではなく藩だと話します。武四郎が「この地に生きるアイヌを大切にしなければ平穏も発展もない」と言うと、彦兵衛は「大層なアイヌびいきだ」と六之助とともに馬鹿にするように笑いました。

武四郎はアイヌが住む村を訪れ、リセと出会う

旅を続けていたある日、3人の目の前に大きなヒグマが現れます。ウテルクがナイフを取り出し、迫ってくるヒグマに果敢に挑みます。もみ合って崖から転げ落ちたウテルクは、左腕を噛み切られてしまいました。

お供の六之助とはぐれ、2人はウテルクが住んでいた村へと向かうことにします。そこでアイヌの女性・リセ(深田恭子)と、その家族と出会います。

リセはウテルクの妹だと名乗り、エカシ(宇梶剛士)とフチ(曽川留三子)を「私のニシパのとと様、かか様」と紹介しました。ニシパとは“大切な人”のことを指すと、武四郎は教わります。

フチに抱かれている男の子・イチニカ(正垣湊都)はリセの息子でした。武四郎はウテルクに怪我をさせたことを謝り、コメと味噌・酒と薬を家族に差し出しました。しかし、エカシは険しい顔を崩しませんでした。

武四郎は、エカシが美しく広がる湖に向かって、静かにアイヌ語の歌を歌っているのを見かけます。村ではふくろうの鳴き声のような歌に合わせて、村人が踊りを踊っていました。駆け寄ってきたリセに「このコタン(村)は女性が多いのだな」と武四郎が話しかけます。「コタンに残された女はシサム(和人)の女にされる、シサムはみんな鬼だ」と険しい顔で話し始めます。

リセと結婚していたアイヌの夫は北蝦夷に連れて行かれ、リセは和人と結婚させられた上に殺されそうになり、村へと逃げ帰ってきたのでした。イチニカは和人との子供でした。

リセは「北蝦夷から帰ってきた夫は、ある日死んだ」と語ります。父・エカシが、ポロト(湖)のほとりでいつも歌を歌っているのは、息子であるリセの夫のためでした。

「イチニカが大人になったら私は死ぬ」と話すリセに、夫はそんなことは望んでいないと武四郎は慰めます。「あなたは良いシサム(和人)、生きているうちに良いシサムに会えてよかった」とリセは話しました。

武四郎は「踊ろう」と手を引かれ、手を羽ばたかせる不思議な踊りの輪に入ります。そんな日々を過ごしながら武四郎は、アイヌの村での生活を絵に書き残していきました。

武四郎とリセ、イチニカに別れがやってくる

武四郎にすっかり懐いたイチニカは、武四郎に「お父さんになってほしい」と呟きます。リセも武四郎との時間を大切に過ごしてきました。しかし、ウテルクの怪我が治ったことで、武四郎は旅立つことを決めます。

武四郎がアイヌ語で「いつまでも忘れない、ありがとう」と伝えると、寡黙なエカシが言葉を返してくれました。リセは武四郎のために木の皮で織ったアイヌの着物をくれました。

武四郎はその夜、石を磨いて作ったペンダントを、リセに渡します。彫られたリセ(里世)という文字は、コタン(里)のモシリ(世界)という意味でした。

そして、「イチニカが一人前になっても生きていて欲しい、リセが生きていると思いながら自らも生きていく」と伝えました。リセは「武四郎がずっとここにいるなら死なない」と言ったものの、武四郎はそれはできないと話しました。

北海道で自分のやるべきことが見つかった武四郎は「わしはこの蝦夷地で見たことを、江戸に戻って多くのひとに知らせなければならぬ、この国のためにも、アイヌのためにも」と語り、武四郎はリセに江戸へ一緒に来てくれないかと話します。

しかし、「私はここで生まれた、私はここに住む人、どこにも行かない」とリセは答え、寂しそうに去っていきました。

武四郎(松本潤)は本を出版するが、松前藩から命を狙われることになる

江戸に戻った武四郎は蝦夷地で起きている出来事を、“蝦夷日誌”という書物に記して世に送り出しました。

蝦夷日誌には松前藩と商人のせいで、アイヌの人口が大幅に減っていると書きました。さらに武四郎は、蝦夷地を松前藩から召し上げないと、いずれ日本国の滅亡の原因になると世に問いかけたのです。

箱館では、新堂屋の商人・左七郎と、湊屋の商人・彦兵衛が、松前藩の家老・佐島勘解由(西村雅彦)に呼び出されていました。アイヌを酷使していることが問題になると損をする3人は、武四郎を生かしてはおけないと考えます。松前藩の家老・佐島は、武四郎を始末するよう江戸屋敷の者に命じました。

武四郎は阿部伊勢守正弘にアイヌの窮状を訴える

武四郎はアイヌの窮状を直接幕府に伝えようと、旧幕府外国奉行・堀井出雲守(石井正則)を訪ねます。悪徳商人をのさばらせておけば日本は内から滅びると進言し、旧幕府老中・阿部伊勢守正弘(筧利夫)に伝えて欲しいと頭を下げました。しかし、信じることができないと断られてしまいます。

その帰り道、武四郎は刀を持った男たちに囲まれます。必死で逃げる武四郎は、堀井出雲守のもとへと戻ってきます。堀井は松前藩から命を追われていることを知り、武四郎の話を信じてくれました。

しばらく屋敷に身を隠すことになった武四郎、そこへ老中・阿部伊勢守正弘が現れます。阿部伊勢守は、武四郎の説得により、蝦夷地を幕府が直接治める土地にすると決定してくれました。武四郎は幕府の役職をもらい、再び蝦夷地に向かいます。

武四郎は再び蝦夷地の探検に挑み、リセに再会する

武四郎は再び険しい山を登り歩き、リセのいた村へと帰ってきます。武四郎が訪れた時には、かつての村はすっかり廃れていました。ふと織物をする音が聞こえ、家へと入ると、そこにはリセが立っていました。

武四郎が近況を聞くと、「みんないない、みんな死んだ」と答えます。男を漁場に連れて行ってしまうので、「アイヌの子供が生まれずに滅びる」と涙ぐみます。

武四郎が「これからアイヌの生活もきっと良くなる、必ず良き蝦夷地にしてみせる!」と励ましますが、「誰も戻ってこない。何も帰ってこない、あんたが来ても何も変わらない…」と言って帰るようにと告げました。

武四郎がリセの息子・イチムカについて尋ねると、彼は市助(いちすけ)という名前で和人の商店で働いており、「半分シサム、ほとんど帰ってこない」とリセは寂しそうに話しました。

武四郎はアイヌの生活が良くなるように懸命に働くと告げ、「邪魔をした、達者でいてくれ」と去って行きました。里世は涙を流し、湖を見つめます。

家に戻ったリセは、武四郎のために織り上げていた着物を見上げます。リセは着物を手に山や川をかき分けて、武四郎を追いかけました。やっと追いついたリセは、弓矢で武四郎に狙いを定める男を見つけます。

リセはとっさに武四郎をかばい、放たれた弓矢がリセの背中に刺さりました。倒れたリセは、武四郎の腕の中で息を引き取ります。

リセの死と市助の決意

リセが眠る墓に手を合わせる武四郎。そこへ成長した息子の市助(ヴァサイェガ渉)がやってきて、和人の言葉や文字を知るために江戸に行きたいと頼みます。

武四郎は市助と共に旅を再開し、アイヌの家族を訪ね歩いて人別帳(じんべつちょう)を作り、アイヌの人口が減っていることを示す資料を作りました。

武四郎は江戸に戻り“東西江戸山川(さんせん)地理取調日誌"を完成させました。その頃江戸では井伊直弼が大老になり、園部塾に通う市助は、「攘夷派への弾圧、和人は同じ和人も弾圧するのですね」と話しています。

武四郎は、絵本も出版し大ベストセラー作家になったものの、“近世蝦夷人物誌”が、幕府の指示で出版ができなくなります。アイヌの日々の暮らしを描いたものでしたが、決定は覆りませんでした。武四郎は悔しさを募らせます。

大政奉還が起き、武四郎は大久保利通から役職を与えられる

時代は進み、明治になりました。武四郎は、明治新政府参与・大久保利通(江口洋介)と会います。蝦夷地の開拓を重要課題と考えていると語った大久保は、武四郎に「箱館府判府事」という立派な役職を与えました。

大久保は「アイヌと日本人を平等に扱う政策を考えるのに力を貸して欲しい」と語りました。そして、蝦夷地の新しい地名を考えるようにと命じられ、武四郎は光栄だと頭を下げました。

早速武四郎は地名の選定に取り掛かり、調べ上げたアイヌ語の地名をヒントに小樽や札幌という地名を決めました。そこへ開拓史長官・鍋島直正(小日向文世)が、蝦夷地の新しい名前を考えるようにと伝えに来ます。

武四郎は「私はここに住む人」というリセの言葉を思い出していました。明治2年7月17日(1869)武四郎は6つの案を出しました。

日高見道(ひたかみどう)
北加伊道(ほっかいどう)
海北道(かいほくどう)
海島道(かいとうどう)
東北道(とうほくどう)
千島道(ちしまどう)

「そこに住む人」をアイヌ語で「カイ」と呼びます。北に住むカイの地という意味で、蝦夷地の地名は北加伊道(ほっかいどう)に決まりました。鍋島直正(小日向文世)は、「雄大であるな」と笑いました。

武四郎は重要な仕事を任せてもらえず・・・

武四郎は、開拓使長官の東久世通禧(山田良明)に、アイヌと和人が平等に取引をする法律を定めなければと進言します。「文字を持たない人びとと、どう取引をしろというのか」と取り合おうとしない東久世に、武四郎は「和人が文字を学ぶことを遠ざけたのだ」と反論します。

「美しい音楽や踊りがあり、歴史も伝承で記録し、誰にでも優しく、争いや支配を嫌う」そんなアイヌのことをもっと理解すべきだと “近世蝦夷人物誌”を見せますが、東久世は聞く耳を持たず、武四郎に「出て行け」と言い放ちました。

松前藩家老・佐島が裏で手を回しており、武四郎は北海道に赴任することができません。名前だけ使われ実際には何もさせてもらえないと武四郎は怒り、大久保利通に直接訴えに行きます。

しかし、武四郎の思いは受け入れられることはありませんでした。武四郎は怒り、その職を辞めました。

武四郎の後悔と市助

武四郎はその夜、悪夢を見ました。新政府の役人たちが宴会をしており、皿の上にはアイヌの人肉や骨が並び、アイヌの亡霊たちが囲むように見ていました。武四郎は、このような夢に毎晩うなされ、アイヌの窮状を救えなかったことを悔やんでいました。

「わしは何もしなかったのだ、その罪は許されぬ」と語り、「北海道を多くの人に知らせるのはわしの使命だ、されど北海道を再び踏むことはできぬと思う」と市助に伝えます。そして壁に飾ったアイヌの着物を見て、リセに合わせる顔もないと悔しさを滲ませます。武四郎は市助に思いを託し、市助は先生の代わりに北海道に行くことを決意しました。

市助との別れの日、武四郎は「お前なら、アイヌと和人の架け橋になれる」と勇気づけ、漢字で“市児火”と彫られた手彫りの印を渡しました。「市助ではない、イチニカだ」と告げ「北海道を頼んだぞ。さあ行け、お前が時代の先頭を歩むのだ」と送り出しました。

『永遠のニシパ』感想

エンドロールには、実際に松浦武四郎が描いた絵や地図が映っていました。実在した人物の物語を、松本潤さんが時代劇で演じるのには驚きましたが、すぐに見慣れました。

全国ドラマでアイヌ語の台詞や歌が聞けるのは貴重です。異国感溢れるヴァサイェガ渉くんと松本潤さんのビジュアルが不思議な世界を醸し出しています。ぜひ見てくださいね!

 

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