さくらももこ先生が乳がんで死去~「ちびまるこちゃん」「コジコジ」そしてエッセイ、温もりがちりばめられた作品たち

さくらももこ先生が逝去~SNSには悲しみの声が寄せられています

日曜日の夕方6時と言えば「ちびまるこちゃん」。

その時間が来ると「ちびまるこちゃん」を見て、その後に「サザエさん」を見て、嫌々ながらも月曜からの仕事のために準備をする。知らず知らずのうちに、それが日課になっていたという人も多いのではないでしょうか。

その「ちびまるこちゃん」を世に発表した原作者・さくらももこさんが、乳がんにより死去されたことが発表されました。

亡くなられたのは8月15日。まだ53歳と言う若さです。

日本を代表する著名な漫画家の訃報に、日本中が悲しみに沈んでいます。

まるちゃんの声を演じている声優・TARAKOさんもコメントを発表。

TARAKOさんは、ちびまるこちゃんが放送された当時からずっとまる子の声を担当している声優さんです。今回の訃報がどれだけショックか…コメントからも言いようのない悲しみが伝わってきます。

「ちびまる子ちゃん」の初代OPをアップする方も。タイトルは「ゆめいっぱい」です。少女漫画雑誌「りぼん」で連載されていたこともあってか、漫画のシュールさとはちょっと違う可愛らしいOPになっていたことを思い出します。

ちびまる子ちゃんと言えば「踊るポンポコリン」のイメージが強いですが、「ゆめいっぱい」はまる子の女の子らしさを表現したかのようで、人気がありました。

その後も、次々とお悔やみのツイートが上がっています。

さくらももこさんが作詞を担当した御縁から、ジャニーズWESTのファンの方からも。

https://twitter.com/Jwest_______non/status/1034032781741850625

ちびまる子ちゃんは静岡県清水市が舞台の漫画です。清水市からも追悼の声が寄せられました。

桑田佳祐さんが歌うエンディングテーマ「100万年の幸せ!!」。これもちびまる子ちゃんを代表する曲のひとつです。作詞はさくらももこ先生が自ら手がけました。

2018年8月26日。訃報が発表される前日に放送された「ちびまる子ちゃん」に出てきたメッセージです。今思えば、番組からのメッセージだったのかもしれません…。

https://twitter.com/tanukitixxxgaia/status/1034037286986440704

アニメが25周年を迎えたときは、さくらももこ先生ご本人がアニメで挨拶を。声がまる子の声優役・TARAKOさんとそっくりです。区別がつかないほど。TARAKO先生はももこ先生が指名した声優さんであることは有名ですが、この二人が出会ったことはまさに運命なのでしょう。

ちょっと生意気でワガママで、でも本当は優しいところもあるまる子。

そんなまる子に時々呆れつつも、まる子が大好きでいつも一緒にいたたまちゃん。

キザでお金持ちで、お母さんが大好きな花輪くん。小学生らしいやんちゃさがあるはまじとブータロー。クラスに必ずいる「なんでもできてカッコいい男子」な大野くんと杉山くん。

花輪くんに憧れる頑張り屋さんのみぎわさん。学級委員になることがすべてのまるおくん。

「ちびまる子ちゃん」に出てくる個性的なキャラたちは、いつも私たちを笑わせふっと心を温かくしてくれ、またある時は心から感動させてくれました。

まる子の姉の咲子役の声優・水谷優子さんも乳がんで天国へ旅立ち、その咲子の憧れの人として登場していた西城秀樹さんも亡くなり…今回は、まる子の生みの親であるさくらももこさんがこの世を去ってしまいました。

平成最後の夏に、本当に悲しい報せです。心よりお悔やみ申し上げます。

さくらももこさんが描いたもの~「夢の音色」で描かれたデビューまでの軌跡

さくらももこ先生が漫画家への道を歩むようになったのは、高校生のとき。

この時の様子が、「ちびまる子ちゃん」の4巻に収録されている「夢の音色」にて明かされています。

小さなころから絵を描くことが好きで、時にはサインの練習までしていたというももこ先生。自らの作品を「りぼん」に投稿するものの、最初の結果は「Bクラス」という辛い結果でした。

その後も投稿を続けるものの、なかなか思うような結果が出ません。ちなみに、同時期に「天使なんかじゃない」「NANA」で有名な矢沢あい先生も投稿をしていたようで、「矢沢あい上手いな~そのうちデビューするだろうな~」と考えていたことも明かされています。その通りになりましたね。

そんなももこ先生にとって、大きな分岐点となったのは高校に提出した作文でした。

当時のさくら先生が提出した作文を読んだ先生は、その文才を高く評価し「現代の清少納言」という言葉で彼女を褒めたたえます。

この言葉が、ももこ先生の漫画の方向性を大きく変えることになります。それまでは純粋な少女漫画を投稿していたももこ先生ですが、「エッセイを漫画にしてみたら面白いのではないか」と思いつき、以後はその方向で漫画を描くようになりました。

その作品がなんと入賞。投稿していた「りぼん」編集部からも「このままいけばデビューできますよ」という電話があり、ももこ先生は「漫画家になる」という夢にすべての力を注ぐようになりました。

この頃になると最初は笑っていた両親たちも協力的になり、娘の夢のために漫画の消しゴムかけを手伝うなど気を使ってくれたそう。まさに、家族総動員でももこ先生の夢を応援してくれていたのですね。

それでもなかなかデビューがつかめず、さすがに「もうデビューはできないのかもしれないな」とあきらめの気持ちも過り始めたころ、編集部からの電話でデビューが決まったことを伝えられたそうです。

今でこそ日本中が知っている漫画家のさくらももこさんですが、デビュー前は「夢はあるけれど自信はない、漫画家になんてきっとなれない」と思い悩む普通の女子高生であったことが明かされています。

また、目がキラキラした少女漫画全盛期の時代に彼女もまたその道を志し、挫折を味わったことも隠さずに描かれています。早いデビューとはいえ、決して楽に漫画家になったわけではありません。

漫画の中では、姉に「もうキラキラした目のマンガじゃないの」と問われ「私はそっちの才能はないから」と答えるシーンもあり、ももこ先生は若くして自分の才能と向き合っていたことも解ります。

そんなさくらももこ先生は、短大を卒業して入社した会社を辞めたあとに「ちびまる子ちゃん」の連載をはじめることになります。

80年代の少女漫画界に衝撃を与えた「ちびまる子ちゃん」旋風。まる子は当時の小学生そのものだった

当時の少女漫画は「星の瞳のシルエット」「ときめきトゥナイト」をはじめとする、女の子の恋愛模様を描くものが主流でした。

さくらももこ先生は「ちびまる子ちゃん」がデビュー作というわけではありませんでしたが、この漫画がりぼんに掲載されるということは、当時の少女漫画界を震わせる出来事と言っても言い過ぎではありません。

細い線で描きこまれた美少女たちが次々と登場する「りぼん」の中に、恋愛をする中学生でも高校生でもない小学生のまる子がいるのです。同じ時期にやはり「りぼん」に掲載されていた「お父さんは心配症」の岡田あーみん先生と「ちびまる子ちゃん」のさくらもも子先生は、いい意味で「りぼんの異端児」的な存在でした。

特に、昭和のどこにでもいる小学生の日常を描いた「ちびまる子ちゃん」は、りぼんっ子の女の子だけでなく男の子・親世代の人気を取り込みに成功。どんどん人気が拡大し、1990年にはアニメ化もされています。

少女漫画に掲載された「ちびまる子ちゃん」が、その枠を超え国民的な人気にまで上り詰めた理由は何だったのでしょう?

それは、まる子が美少女でもなく優等生でもなく、ただどこにでもいるような地方都市の女の子だったからではないでしょうか。

おかっぱ頭に赤い吊りスカート・白いシャツがトレードマークのまる子は、勉強嫌いでちょっとずるいところもあって、お母さんに怒られてばかりの「どこにでもいる女の子」です。

年上のお姉ちゃんと喧嘩してはクールにあしらわれ、ぼんやりしがちな父親と孫に甘いおじいちゃんに可愛がられ、昭和時代にはどこにでもあった駄菓子屋が大好き。

国民的アイドルだった山口百恵さんに憧れ、山本リンダの「狙い撃ち」に出てくる「ウララ~ウララ~の真似をして遊ぶ、昭和ならクラスにこういう子が必ずいました。

学校には親友のたまちゃんがいて、大人から見れば平凡に見える日常の中で笑って泣いて、時には小さな冒険をして感動して。

当時の小学生の誰もがそうであったように、まる子は普通の毎日を普通に生きる女の子でした。

世の人たちは、まるで自分を見るように・または自分の近くの女の子を見るように、まる子を見ていたに違いありません。

当時の小学生には珍しいブラックユーモアや突っ込みもちりばめられ、子供と一緒に大人も笑顔になれる作品でした。時に大人の気持ちと子供の嗜好は衝突しがちですが、「ちびまる子ちゃん」には世代を超えて楽しませてくれる大きなパワーがありました。

漫画の中で普通の小学生と同じように生きるまる子は、少女漫画の主人公の女の子に多い「憧れの女の子」「理想の女の子」「人気者の女の子」ではなく、「友達のような女の子」が近いでしょう。

どこにでもいる小学生のまる子だからこそ、たくさんの人の友達のような感覚で愛され、友達と笑いあうように漫画を読んで笑えました。

さくらももこ先生が亡くなった次の日に、ちびまる子ちゃんの公式サイトがあげたツイートです。そういえば、「ちびまる子ちゃん」の記念すべき第一話は夏休みに入る日のお話でしたね。

隠れた名作が多かった「ほのぼの劇場」。思春期の女の子の等身大の心がここにあった

「ちびまる子ちゃん」の初期のコミックスには、「ほのぼの劇場」というさくらももこ先生の体験をそのまま作品にしたような作品が掲載されています。「りぼん」の別冊に読み切りで掲載されていた読み切りの作品です。

「ちびまる子ちゃん」が小学生のときのさくらももこ先生なら、「ほのぼの劇場」は中学生や高校生のさくらももこ先生。シュールなギャグはそのままに、この年代の女の子なら誰でも抱えていた葛藤や悩み・切なさがナチュラルに描かれました。

ももこ先生は実生活でもお姉さんがいらっしゃいますが、その経験から生まれたと思われる「フランス人形とちび姫」という作品は秀逸です(コミックス3巻収録)。

フランス人形のように美しい姉と比較され、こけしのようだと言われつづけた妹のももこ先生。コンプレックスからお姉さんに辛くあたることもありました。でも、そんなお姉さんが「親戚にちょっとくらい美人と言われても、本当に好きな人に好きになってもらえなければ意味がない」と背中を向けて涙するのを見て、本当に大切なことに気づくというお話です。

自分を好きになってくれた男の子とのやりとりが描かれる「陽だまりの詩」も印象的ですね。

別のクラスの男の子が自分を好きになってくれて、周りから「好かれてるんじゃないの~」とはやし立てられるようになります。ももこ先生も相手を意識するようになり、相手とちょっとしたやりとりをするたびにドキドキする毎日。相手もドキドキ、ももこ先生もドキドキ。

でも、幼い恋はそれ以上進展することなく、大人になったももこさんは大人になってから出会った男性のもとへお嫁に行きます。当時の甘酸っぱい日々は、まるで陽だまりの粒のような思い出となって胸を温めていました。

中学校や高校は、3年ごとに環境とお友達が変わりますよね。その中で、どんなに好きになった人でも卒業したら二度と会えないということは珍しくありません。ももこ先生と相手の男子の恋も、きっとそんな風に終わったのでしょう。

それでも、その当時に感じた胸の高鳴りやときめきはずっと胸の中に残り、いつまでもキラキラ輝いています。この作品を読むことは、心の宝石箱を覗く感覚に似ているかもしれません。

「ちびまる子ちゃん」はその時をリアルタイムで見ている感覚に近い形で描かれていますが、「ほのぼの劇場」の場合はあっという間に通り過ぎる青春時代の一瞬をとらえたような作品が多く、読む人をノスタルジックな気持ちにさせてくれます。

ちびまる子ちゃんのもう一つの物語として、多くの方に読んでほしい作品です。

さくらももこ先生らしいシュールさが炸裂した「コジコジ」の誕生

「ちびまる子ちゃん」の次に、さくらももこ先生が世に送り出した作品が「コジコジ」です。

「メルヘンの国」という架空の国を舞台にしたコジコジは、可愛らしい外見からは想像できないシュールな世界を楽しめる作品です。可愛いけれどブラックユーモアがしっかりと描かれているあたりに、さくらももこ先生らしさが漂います。

納得のいかない世の中の不条理を織り交ぜながらも、コジコジにはさくらももこ先生の人生観やメッセージが含まれているふしもあり、読んでいてハッとさせられることも。

シュールさとブラックユーモアが描かれているところは「ちびまる子ちゃん」と共通していますが、「コジコジ」はどこか人生の悟りのようなものが漂い、また違った魅力があります。

「ちびまる子ちゃん」よりも、コジコジの方が好きという人がいるくらいの人気。

キャラクターの可愛さもあって、今でも企業とのコラボが行われるほど支持されています。

こちらは「コジコジ」のフードを食べることができる「メルヘンカフェ」の企画。2018年4月に横浜ヴィレバンダイナールミネ店で開催。

いつも穏やかにほほえむコジコジが、今日はなぜか悲し気に見えます。

さくらももこワールドを余すことなく楽しめる数々のエッセイたち

もともとエッセイテイストな漫画が多かったさくらももこ先生ですが、1991年に発売された「もものかんづめ」を皮切りに、精力的にエッセイを発表していきます。

「もものかんづめ」「さるのこしかけ」「たいのおかしら」は三部作として発売されており、どれもがミリオンセラーを記録するという快挙を遂げます。

「もものかんづめ」の中では、「ちびまる子ちゃん」にでて来る祖父の友蔵が「本当は作品のように優しい祖父ではなく、厳しくて苦手だった」という事実が明かされました。まる子に甘すぎるほど甘い漫画&アニメの友蔵との違いに、読者の多くが驚愕。この話はいまだに「ちびまる子ちゃん」の裏話として良く語られますね。

現実のおじいちゃんが怖かったからこそ、「こんなおじいちゃんがいいな」という気持ちで生まれたのが、友蔵というキャラクターなのでしょう。

しかし、その後のエッセイには読者から賛否両論があったことも事実。

少し例を挙げてみましょう。

宝石収集が趣味だったももこ先生は、その経緯をまとめた「宝石物語」というエッセイを発売しました(雑誌で連載もしていましたね)。

しかし、「ちびまる子ちゃん」の舞台が庶民の家で会ったのに対し、「宝石物語」では次から次へと宝石を購入するももこ先生が出てくるため、共感できないと読者から反発も…。「ちびまる子ちゃん」の素朴さを愛する読者が多かったからこその反発でしょう。

また、「やきそばうえだ」物議を醸した作品でした。

これは、友人の植田さんの先を心配したももこ先生が、本人が参加していない食事会の場で「パリで焼きそば屋をやらせよう」と計画する話。本人の意思を問わず、実際にやらせてしまうという内容です。

それだけならいいのですが、やはり文章のはしばしに一般人を見下すような表現があったため、一部の読者から反発を受けました。レビューは見事に評価が真っ二つですね。

これらのエッセイがどのようにして書かれたのか、それはももこ先生にしかわからないことですが、何を言われようが自分が書きたいことを貫く姿勢は、エッセイにこそよく表れているかもしれません。

離婚と再婚・息子のさくらめろんくんのこと

さくらももこ先生は、「ちびまる子ちゃん」の連載中に担当だったみーやん(宮永正隆さん)と1989年に結婚。1994年には男児を出産したことが発表されました。

この息子さんは、のちに「さくらめろん」のペンネームでももこ先生と絵本を出版しています。お母さんに似て、才能豊かな息子さんなのでしょう。

「ちびまる子ちゃん」の中でも、まる子とコジコジが未来のももこ先生に会いに行く回で息子さんが登場しています。まだ赤ちゃんの頃でしたね。

当然ですが、ももこ先生は一人息子のめろんくんをとても大事にしていたようで、エッセイにもたびたび登場しています。息子さんには自分がさくらももこだと言うことを隠していたようですが、のちに自分で打ち明けたようですね。

その後にみーやんと離婚し、2003年にイラストレーターのうんのさしみさんと再婚。本名など詳しいことは明らかにされていませんが、ももこ先生と共同で本を出版されていたことが解っています。

一夜明け、さらに多くの関係者・著名人から追悼のメッセージが発表されました

訃報から一夜明け、さらに多くの関係者・著名人から追悼のコメントが寄せられています。

さくらももこ先生と同じ小学校で、「ちびまる子ちゃん」でも丸坊主のサッカー少年として登場した「けんた」こと長谷川健太氏(FC東京監督)が、コメントを発表。

ももこ先生の故郷・静岡県清水市の「清水エスパルス」も悲しみのメッセージを発表しました。

まる子の十八番「ウララ~ウララ~」の「狙い撃ち」を歌っている山本リンダさんは、「来世でも描いて」とメッセージを。来世でもまたまる子を描いてほしいですね、本当に。

有名な「おどるポンポコリン」を歌ったB.Bクイーンズからは感謝のメッセージが。この曲がデビューシングルでした。作詞はさくらももこさんが担当しています。

「りぼん」の編集長もコメントを。りぼんでデビューすることを夢見て、毎日漫画を描いていた高校時代のももこ先生を思うと、やるせない気持ちがこみ上げてきます。デビューを描いた「夢の音色」がこんなに悲しく思える日が来るなんて。

日経新聞は、生前のさくらももこ先生のコメントを掲載しています。漫画家としてとても幸せだと語っていたももこ先生。

実写版のまる子を演じた森迫永依さんも。

エンディングテーマ「アララの呪文」の作詞作曲を手掛けた岡本真夜さん。

出身地・静岡県清水市の田辺市長も哀悼の意を。ももこ先生は清水市出身ですが、現在は静岡市清水区となっていることから、清水市の市長さんからのコメントとなっています。

オープニングテーマを手掛け、自らもアニメに出演した「ゴールデンボンバー」からもメッセージが発表されました。

そして、作家の吉本ばなな先生も…。ももこ先生との交流は良く知られています。

吉本ばなな先生は、公式ブログでも哀悼の言葉を綴っていらっしゃいます。長く親交のある吉本先生だからこその、愛情と悔しさが滲んだメッセージでした。ぜひ公式サイトでご確認ください。ももこ先生の人柄がどんなに温かいものであったか、吉本先生が語って下さっています。

その他、数多くの著名人から悲しみのメッセージが寄せられています。

ももこ先生の突然の訃報に、SNSでも追悼コメントが絶えません。一晩を過ぎても、ちびまる子ちゃんという偉大な作品を遺したももこ先生への悲しみと感謝の気持ちは、降り積もってゆくばかりです。

アニメの継続が発表されました。これからもさくらももこ先生の作品はたくさんの人たちの心に遺っていくでしょう。

さくらももこ先生の訃報が伝えられると同時に、「ちびまる子ちゃん」のアニメが今後も継続されることも明かされました。

世のこどもたちに笑いと感動を与え続けてきた「ちびまる子ちゃん」は、これから生まれてくる子供たちのこともきっと笑わせてくれるでしょう。

「ちびまる子ちゃん」はあまりに身近過ぎる作品で、まる子は近くにいるお友達のようで、だからこそももこ先生もずっと私たちと一緒にいてくれる…そんな風に思っていたのに、先生はこんなに早く旅立ってしまいました。

それでも、お別れの言葉ではなく感謝の気持ちをさくらももこ先生に贈ります。

先生、漫画を描いてくれて、まるちゃんを生み出してくれて本当にありがとうございました。

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