レッチリが幕張に来る!サマソニ2019ヘッドライナーの最強バンドレッチリの名曲・メンバーを大特集




SUMMER SONIC 2019のヘッドライナー第1弾にRED HOT CHILI PEPPERSの出演が決定しました!

■SUMMER SONIC 2019

期間:8月16日から18日の3日間

場所:東京 ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ

大阪 舞洲SONIC PARK(舞洲スポーツアイランド)

サマーソニックの記念スべき20回目の祝祭に大物が動いてくれました。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの2019年初の大きな動きとしてこのサマソニ参加を約束してくれました。

本当に楽しみでしかない!

最後にレッチリがサマソニに来たのは日本中が衝撃を受けた2011年東方大震災の年。

誰もがキャンセルされることを頭に思い描き諦めたとき…王道のファンクネスを彼らはオーディエンスに叩きつけてくれました。

その時の感謝の熱い思いを込めてレッチリを歓迎しよう!

レッチリの数々の名曲をまずは堪能あれ!!

2002年7月にリリースされた8thアルバム「バイ・ザ・ウェイ」の表題曲「By The Way(バイ・ザ・ウェイ)」

これなしでのライブはありえないというほど演奏される代表曲となった「Can’t Stop(キャント・ストップ)」。

歌を聴いた瞬間、誰もが名曲の予感を感じることができる「Scar Tissue(スカー・ティッシュ)」

映画「DEATH NOTE デスノート」主題歌。メンバーが様々なロックバンドに扮したミュージックビデオも話題になった「Dani California(ダニー・カリフォルニア)」。

これを知らなければもはやレッチリファンじゃないというほど愛されている楽曲「Give It Away(ギヴ・イット・アウェイ)」。

1999年発表の8thアルバム「Californication」のタイトル曲、「Californication(カリフォルニケイション)」。

10thアルバム「I’m With You」レコーディング時の未発表音源18曲が2曲づつ連続リリースされ、「Pink As Floyd 」は第5弾シングルとして発売

歌い出しでアンソニー特有の落ち着いた声がきける「Under The Bridge(アンダー・ザ・ブリッジ)」。

1999年リリースの8thアルバム「Californication」の1曲目に収録された「Around The World(アラウンド・ザ・ワールド)」。

緊張感ある雰囲気に包まれた「Minor Thing(マイナー・シング)」は、16曲入りのアルバム終盤にふさわしい強い存在感を放ち、全体をピリッと引き締めるのにふさわしい切迫した空気に包まれています。

アンソニー・キーディス(Anthony Kiedis)のプロフィール

担当:ボーカル

出身地:ミシガン州グランド・ラピッズ

生年月日:1962年11月1日生まれ

圧倒的な筋肉でレッチリのリーダーとして君臨するアンソニー。

ときには怪我するほど激しいパフォーマンスでファンを魅了する。

総資産が100億円を超え、最高100人以上の彼女を同時につくっていたと豪語する彼はどんな人間なんだろうか。

そんな彼の親はリトアニア系の移民の父とヨーロッパ系の母。

さらには父は俳優であり、また重度の麻薬常用者でもあった。

その影響でアンソニーもなんの抵抗もなく麻薬を始める。

カルフォニアで育ったアンソニーは80年台の西海岸のカルチャーを全身に受ける。

そのとき今の音楽の核となるファンクやヒップホップを体に取り込み、ラップもうまくミックスすることで独自の世界観を持ったボーカルスタイルを手に入れた。

レッチリの数々の名曲の歌詞をつくるのもアンソニーだがヒップホップのリリックも感じられるリズム感ある歌詞を書いて独特の世界観を創り出している。

そんなアンソニーがあるときインタビューでこう答えた。

闇っていうのは美しいものなんだ。だって、光を探すことを可能にしてくれるわけだからね。10年ぐらい前なんだけど、東インドの方法を使って、俺から心の闇を取り除こうとした女性と会ってたんだ。俺の額に熱いオイルをかけるっていうものなんだけどさ。友達全員のなかでもジョン・フルシアンテがそれに気づいてね。『アンソニー! ダメだよ。心の闇を取り除いちゃ。クリエイティヴィティのためには必要なんだよ』って感じでさ。俺も『ジョンが正しいかもしれない』と思ったんだよね

だから、心の闇を感じる時、僕らの内側にある真っ暗な場所を感じる時も心配しなくていいんだ。理由があって持っているものであり、僕らのバランスの一部なんだよ。恋愛関係だろうが、自分自身について感じることであろうが、それがなんにせよ、闘う必要はないんだ。自分のためにはたらくようにすることができるんだよ

無敵に見える彼だが、多くの弱さや闇を抱えながら生きているアンソニー。

そんな彼だからこそメンバーを始め多くのファンを魅了し引っ張って行けているのかもしれない。

フリー(Flea)のプロフィール

担当:ベース、トランペット

出身地:オーストラリアメルボルン

生年月日:1962年10月16日生まれ

レッチリで一番存在感のあるフリー。

最近趣味で養蜂も始めたというキャラの濃い人物だがどんな生い立ちをしているのだろうか。

そんな彼は生まれたときから家にドラッグが当たり前のようにあったというフリー。

11歳で大麻を経験し、そこからヘロインなどさまざまなドラッグを経験したという。

しかしそんな彼に転機が訪れる。

バンドの初代ギタリスト、ヒレル・スロヴァクをはじめ親友が次々とドラッグのせいで命を落とすことに。

それに大きなショックを受けたフリーはそれ以来薬を少しずつ減らしていったという。

そして完全にドラッグをやめたのは30歳になってからで、およそ19年の薬物生活にピリオドを打った。

けれどドラッグをやめるというのは並大抵のことではなかったという。

誘惑が本当にいやらしい形で襲ってくるんだ。俺は生きてきてずっと、不安がものすごい恐ろしい勢いで襲ってくる時期が何度もあるんだよ。いつの間にか胃がぎゅうーっと搾られるような痛みに襲われて、脳味噌がきんきんに冷えた爪で握られるような感じで痛くなるんだ。

頭の中は情け容赦なくぐるぐる回りっぱなしで、飯も食えなければ眠れもしないし、絶望の果てしない空間をただ見つめて、恐怖の底なしの谷をずっと覗き見るような心地なんだ。やばいんだよ、これが。ここで薬をキメたら一発で気分がよくなるからね。

薬の濫用を一度やってしまうと、そういうのが常に口を開けて待ってて、こっちに来て頭をすっきりさせようぜって誘ってくるんだ。

そういう時は瞑想するのもいいし、運動もいいし、カウンセリングに行ったり、あるいは自分の難しい人間関係について辛抱強く、謙虚に取り組んでいくということをしたり、いろいろ気の紛らわし方はあるんだけどね。

だけどそこで売人を探してくれば、50ドル(約5250円)でヘロイン1袋を買ってそのまま1分ですべて解決するんだよ。

だから、こういう経験を通して俺が学んだのは、(薬を欲する)自分の身体が感じるこういう痛みに対して、感謝すればいいんだということだったんだよ。痛みをありがたく思うっていうマインドセットに自分を置いたことで、薬物の誘惑から自分を遠ざけることに成功したんだ。

どんなに優秀な人でもふとしたことがきっかけで依存症になることもあるというフリー。彼の境遇などから特別な人だけがなると思いがちだがそうではないと世界中の人に警告する。

人生は痛みに溢れているものなんだよ。世の中は怖いところだし、だから、薬に頼ることで、痛みや不安、不正義や失望から逃げられるように思えるんだ。

でも、そういう辛いことに対して感謝に気持ちを持って向き合うことで、そしてさまざまな困難の教訓を自分から受け入れていくことで、俺たちは初めてそれを乗り越えていく可能性も手にするわけだし、依存症という強烈な誘惑になびかない、より健全で幸せな人になれるんだ。

チャド・スミス(Chad Smith)のプロフィール

担当:ドラム

出身地:ミネソタ州セント・ポール

生年月日:1961年10月25日生まれ

ドラマーなら知らない人はいない偉大な存在のチャド。

「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において87位を獲得した。

レッチリに入る前はデトロイトのToby Reddというバンドでプレイ。

1989年、ジャック・アイアンズが脱退することで新しいメンバー募集のオーディションに受けて見事合格。

4代目のドラマーとしてレッチリにに加入したのだった。

身長191cmという巨漢から繰り出されるパワフルな打撃も魅力的だが、高揚感と安心感の混在した複雑なドラミングは世界中のドラマーに強く影響を与えている。

ジョシュ・クリングホッファー(Josh Klinghoffer)のプロフィール

担当:ギター、ボーカル

出身地:カリフォルニア州ロサンゼルス

生年月日:1979年10月25日生まれ

15歳で学校を中退してから、とにかく音楽一筋で生きてきたジョシュ。

さまざまな楽器を数多くこなす才能を持ったミュージシャンとして、若くして世界の音楽ステージで注目を浴びた。

レッチリに参加する前に一番人気が出た曲は友人であるジョン・フルシアンテとつくったアルバム『A Sphere In The Heart Of Silence』。

2007年、レッチリのアルバム『ステイディアム・アーケイディアム』のツアーの途中から、バック・ミュージシャンとして参加。

それ以外にもバック・ヴォーカル、キーボード、サイドギターを演奏した。

さらには2009年レッチリのアンソニー・キーディス、フリー、チャド・スミス、ローリング・ストーンズのロン・ウッド、ネヴィル・ブラザーズのアイヴァン・ネヴィル(Ivan Neville)と The Insects という名義で、ミュージケアーズ財団のイベントで共演。

前任のジョンとよく比べられますが、ロック的な豪快さではなくなくとも、正確なプレイとエフェクターを駆使した雰囲気満点の音作りが特徴的です。

さらにはバンドの元ドラマーであるジャック・アイアンズとも仲がよく、彼のこともこう語っている。

ジャックのことは2度ロックの殿堂入りをした男だと思っているんだけどさ

この1年の間に少し休暇をとったんだ。それで、ある時、そろそろ休暇を終わらせてもいいかなと思って、アイディアをレコーディングしてみるのがいいんじゃないかと思ったんだよね

そうしたら、友達のジャック・アイアンズが去年くらいに近所に引っ越してきていてね。1年かそのくらいの間ツアーをしていた時に、彼は引っ越しを進めていたんだけどさ。それで、こう思ったんだよ。『どうしても行きたいスタジオがあるんだけどさ。君が引っ越して来たところから10分くらいなんだ。何か曲やアイディアなりグルーヴを持ってきたら、一緒にレコーディングするかい? 一緒に何か作らない?』ってね

そしたら、彼は『イエス』と言ってくれてたんだ。『もう世間が年の暮れだなんてことに気がついていなくて、それで電話しちゃったんだけどさ』って言ったんだけどね。そうしたら、俺たちが使いたいと思っていた週が空いていたんだよ。とてもラッキーだと思ったよ。そこにいられるのが、すごく光栄だったよね

ジョン・フルシアンテ(John Frusciante)のプロフィール

担当:ギター、ボーカル(元メンバー)
出身地:ニューヨーク
生年月日:1970年3月5日生まれ

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第18位、2011年の改訂版では第72位。

15歳の頃からレッチリのライブに魅了されずっと大ファンだったジョン。

ギターとベース・歌詞をすべて暗記するほどのめり込んだという。

1988年12月、不幸にもオリジナル・メンバーのギタリスト、ヒレル・スロヴァクが死去し、代役ギタリストもいなくなっていたレッチリに加入する。

当時18歳のジョン初デビューがまさかの大好きな憧れのレッチリとは驚きだ。

しかし2009年自身のオフィシャルサイトで「自身の音楽を探求したい」との理由で、チリ・ペッパーズから抜けることを決心。

最初の脱退したときとは異なり、他のメンバーもジョンの意思を尊重してくれたため揉め事なく脱退となった。

世界中のロックファンにとってレッチリとは

レッチリの全盛期はいつなのかとときどきいう人がいる。

アルバム、ブラッドシュガーセックスマジックにて世界中の人の脳にその名を刻み込んだレッチリ。

その名は色褪せることなく、1983年の活動開始から2016年現在まで実に30年以上今なお輝き続けている。

しかし考えてみればレッチリが結成した時に生まれた子供が、今は子供を生む側の世代。

その長いときの流れの中でいつが一番輝いていたかは人それぞれ答えは違ってくるだろう。

そして何のためらいもなく「今が全盛期」とは言いづらいのも現実としてあるのかもしれない。

けれどもミクスチャーロックの第一人者であり、世界的にもっとも有名なバンドの一つであり、今なお絶大な人気を誇るロックバンドRed hot chili peppersのちいは決して揺らぐことがなくその音楽は今なお多くの人の心を揺さぶり続けている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です