2000年代前半に読者モデルとして大活躍していた、小川淳子さんが、3日に39歳という若さで亡くなっていたことがわかりました。
小川さんが経営していたアパレルブランド、「Chesty(チェスティ)」のブランドサイトで、亡くなったことが発表されています。
同年代の女性からカリスマ的な憧れ・人気の対象であっただけに、早すぎる死を惜しむ声がたくさん上がりました。
小川さんのこれまでの経歴や死因、経営していたブランド「Chesty」について、まとめています。
目次
読モの先駆け、カリスマモデルからアパレル経営者となった小川淳子が脳腫瘍で死亡
12月3日に、アパレルブランド「Chesty(チェスティ)」代表の小川淳子さんが亡くなっていたことが、12日に同ブランドの公式サイトで発表されています。
読者モデルの先駆けと呼べる方であり、大学を卒業した後はアパレルブランドを立ち上げ、経営者として活躍されていました。
まだ39歳とという若さで、死因については脳腫瘍と発表されています。
小川さんは最近インスタなど、SNSの更新が少なく、お店に行かれても見かけることがなかったため、病気なのではと心配されていました。
残念ながら、悪い形で推測が的中してしまった形です。
すでに近親者によって葬儀や告別式は済ませており、後日、「お別れの会(仮称)」が催されます。
12日現在、「お別れの会」の日時や場所は未定ということです。
突然の訃報に、多くの女性がお悔やみのコメントを寄せています。
JJモデル時代に一緒に仕事をしたこともある、女優の加藤夏希さんも、小川さんの早すぎる死を悼み、哀悼のコメントを出しました。
小川淳子は神戸女学院大学時代に「JJ」読モで活躍、おしゃれな神戸女子代表のカリスマ
小川淳子さんが注目を浴びたのは、神戸女学院大学時代に読者モデルとして活躍した「JJ」
誌上でした。
小川さんは、間違いなく「読者モデル」という存在が広く認知されるきっかけとなった、読モのパイオニアの一人です。
今では、きゃりーぱみゅぱみゅさんのように、抜群の知名度で読者モデルから芸能界にデビューする方も少なくありません。
しかし、小川さんが活躍していた当時は、読者モデルの方は大学卒業後、そのままファッション業界に残り、華々しい活躍する方が大勢いらっしゃいました。
小川さんも大学を卒業後、知名度を生かし、2003年にネイルサロンやアパレルブランドを立ち上げています。
現在まで、アパレルブランド「Chesty(チェスティ)」の経営者として活躍し、ファッション業界に大きな影響を与えてきました。
同年代の女性の憧れであり、おしゃれな「神戸女子」代表とも呼べる存在だっただけに、まだ39歳という若さで亡くなってしまったことが、本当に残念でなりません。
小川淳子の夫は小川淳子経営の「Chesty」副社長、今後もChestyを昇華と意気込み
小川淳子さんは既に結婚しており、お子さんもいらっしゃいました。
小川さんの夫、小島裕介さんは、小川さんのブランド「Chesty」副社長として、ビジネス面でも小川さんを支えてきました。
小島さんは、小川さん死去を発表する訃報の中で、早すぎる死を悼み、これまでの応援に対し感謝の意を表明しています。
また、
「小川淳子が残してくれた『幸せをお届けする』を忘れず、社員とともにChestyを昇華し、家族とともに生きていきます。」
というコメントも発表し、これまで通り、小川さんが神戸から発信してきたブランドを発展させていく意思を表明しました。
2018年にはブランド15周年を迎えたChestyは、小川さんが亡くなっても多くの方に愛され続けます。
元カリスマモデル・アパレル経営者小川淳子が39歳で早すぎる死、同年代の女性に衝撃
「JJ」などのファッション誌で活躍したカリスマ読者モデル、小川淳子さんが、39歳という若さで亡くなってしまわれました。
小川さんが活躍していたころにJJ読者だった世代の女性たちに、非常に衝撃が走っています。
モデル時代、アパレル経営者時代と、長くファッションに影響力があった方だけに、とても悔やまれますね。
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