『なつぞら』なつ不採用の理由は赤い星座?新劇やプロレタリア演劇の意味を解説!

2019年4月より放送中のNHK朝ドラ「なつぞら」。5月21日(火)放送分より、北海道から東京・新宿へと舞台が変わり、なつを取り巻く環境や景色も変わってきました。

東京編になってから、兄・咲太郎(岡田将生)の登場が多くなっていますが、そんな咲太郎が夢中になる新劇とは何かご存知ですか?

5月29日(水)放送の第51話では、東洋動画の大杉社長(角野卓造)がなつの採用試験の面接で、兄が新劇に入っていることで難色を示しました。その時に、プロレタリア演劇や愚連隊や太陽族など、聞きなれない言葉の連発でした。

そこでこの記事では、咲太郎(岡田将生)と雪次郎(山田裕貴)が大好きな演劇に関する用語を、わかりやすく解説します。

時代背景や史実と絡め、今後の展開も含めて考察していきます。ドラマがさらに楽しめるような情報を提供します。ぜひチェックしておきましょう!

咲太郎(岡田将生)が夢中の新劇とは?

新劇というのは、演劇のジャンルの種類ことです。明治末期に現れた、歌舞伎でも新派でもない、新しい演劇を新劇と言います。

演劇に芸術性を求めるところと、儲けることを考えないというのが特徴です。ヨーロッパ(西欧)の近代演劇に影響を受けていますが、その内容はさまざまです。劇団四季は新劇として生まれました。今でも大人気ですよね!

古い歌舞伎への反抗から、新派や新劇が生まれた

元々演劇といえば、歌舞伎(かぶき)でした。旧劇・旧派が歌舞伎なので、それに対しての新しい劇・新劇(しんげき)です。新派(しんぱ)というものもあって、これは歌舞伎と新劇の間といった感じの演劇。

その時代の世相・風俗・人情を題材にした、大衆的な現代劇と表現されています。

新劇も今では古典になっている

新劇ブームは1913年(大正元年)をピークにだんだんと下火になっていきます。「いだてん」で描かれた、ストックホルムオリンピックが行われた翌年ですね。

当時は新しかった新劇も、今では古典的になりました。1960~1970年台のアングラ演劇ブームが来て、新劇は古いものとされました。アングラというのは、アンダーグラウンドの略で、地下演劇ですね。脚本や舞台セットに頼らず、役者の体のみで芝居をすることがモットーです。

現在は小劇場演劇ブームが続いている

現在の演劇の形は、1980年台の小劇場演劇ブームから続いているものです。基本的に、既製の演劇を破壊しよう!という心意気の人たちが、新しいジャンルを作ってきました。

現状に歯向かい表現するので、新劇には政治的な思いが関わることが多かったようです。今の演劇は、その意識は薄くなっています。

ムーランルージュ「赤い風車」と「赤い星座」の関係

ムーランルージュとは?

もと映画館だった新宿座にパリのレヴュー劇場名をそのままとった「ムーラン・ルージュ」という名の劇団が、初めて芝居とレヴューを上演したのは、昭和6年(1931年)12月31日のことでした。

当時は、左翼演劇集団にたいする弾圧が厳しくなり、また一般商業演劇も盛り上がらない頃で、国全体が不況にあえぎ、次第に戦争へと向かいつつあるくらい空気に包まれていた時代でした。

この暗い風潮に反発するように、人々は浅草のカジノ・フォーリーの新しいレヴューと軽演劇に熱中し、そのスターであるエノケン(榎本健一)やロッパ(古川緑波)、シミキン(清水金一)らが笑いを振りまく玉木座、金龍館、常盤座などに拍手を贈っていました。

玉木座で支配人をしていた浅草オペラ出身の佐々木千里は、このレヴュー流行の風潮に目をつけ、山の手のインテリ層を対象に、当時目覚しい発展ぶりを見せていた新興の街、新宿に旗揚げしたのが、ムーラン・ルージュでした。

http://www.shinjuku-ohdoori.jp/h03-10.html

「ムーラン・ルージュ」という名の劇団の初舞台は、昭和6年(1931年)12月31日です。大晦日ですね。元々映画館だった新宿座で、劇団が舞台を始めたのが始まりです。

「ムーラン・ルージュ新宿座」は、屋根の上に赤い風車が建てられてトレードマークになっていました。フランスにある劇場「ムーラン・ルージュ」から名前を取り、風車もそこから来ています。

そこでは、芝居とレヴューを上演していました。レヴューとは、世の中のことを批評するような芝居のことです。華やかな歌や踊りがあり、寸劇もありです。

ムーランルージュの全盛期は昭和8年(1933年)初頭~10年(1935年)です。ちょうどその頃は、戦争の足音が日本にも迫ってくるころでした。

ダンスと歌、そして芝居は、新宿で暮らす人たちの心を癒し、社会への鬱憤を晴らす存在になっていました。戦争が終わるまで営業を続けましたが、ストリップショーの勢いに押され、昭和26年(1951年)5月に閉店してしまいます。

20年近く、多くの優秀な作家や俳優などを世に送り出しました。戦争を経験しながら、苦しい時代も娯楽を提供しつづけた劇場です。

『なつぞら』でのストーリー

北海道から東京にやってきたなつは、兄・咲太郎(岡田将生)と再会しました。兄・咲太郎(岡田将生)は孤児院を出たあと、困っていたところをムーランルージュ新宿座という劇場の踊り子・亜矢美(山口智子)に助けられます。

咲太郎(岡田将生)はムーランルージュの裏方として働くことになりますが、ムーランルージュは潰れてしまいます。その再建のため、咲太郎(岡田将生)は駆け回りますが、詐欺師に騙され、お金を取られることに…その金を肩代わりしたのが、川村屋の前島光子(比嘉愛未)でした。

川村屋は北海道の菓子屋店主・雪之助(安田顕)の若い頃の修行場所で、その関係でなつ(広瀬すず)は川村屋で働くことになり、兄・咲太郎(岡田将生)と再会します。

 

咲太郎(岡田将生)が所属する劇団は「赤い星座」

5月24日の第46話の放送で、咲太郎(岡田将生)は、東洋動画の社長に自己紹介をしようとし、「赤い星座に所属している」ことを伝えました。咲太郎は新劇をやっており、その劇団女優・亀山蘭子(鈴木杏樹)の付き添いで、東洋動画を訪れていたのです。

新劇をする人は赤で左派、政治活動家だと言われていた

新劇をしている人は、赤で左派が多かったと言われています。

赤というのは、共産主義を信じる人のことです。自由は制限されるけれど、全ての人が平等な国のあり方を目指しています。稼いだお金は全国民で共有して、同じ分だけ行き渡るようにするという考え方です。

左派は、革命的に物事を変えたい人たちのことです。右派は、穏やかに伝統を守りたい人のことを言います。新劇をする人は、政治活動家と見られていたということですね。

赤い星座の赤の由来は、共産主義のテーマカラーから取っている?

『なつぞら』の劇中で、「赤い星座」という劇団名に赤という文字がついているのは、きっと共産主義を広める演劇をしていたことを指すのでしょう。星座は星、赤色に星は共産主義のモチーフになっています。たとえば、中国やベトナムの国旗が赤地に星ついてますよね。

『なつぞら』ストーリー<第46話~>

咲太郎(岡田将生)は、アニメーションの吹き替えを依頼された劇団女優の付き添いで、東洋映画を訪れます。偶然咲太郎は、東洋映画の社長・大杉満(角野卓造)に会うことができました。
なつが目指すアニメーション制作会社は東洋映画傘下の東洋動画なので、妹・なつ(広瀬すず)をアニメーターとして雇ってくれるよう頼むのですが、その時に咲太郎が新劇の劇団「赤い星座」の一員であることを知られてしまいます。

一方なつは、東洋動画に入るために必死に練習をし、アニメーター試験を受けました。面接でも絵でも、落ちるような失敗はしませんでした。しかし、東洋動画から不採用の通知が送られてきます。

なつが試験に落ちた理由を仲が調べてきてくれました。なつの絵は悪くなかったと話し、社長の判断で落とされたという事が分かります。

大杉社長(角野卓造)は「(赤い星座は)戦前からプロレタリア演劇の流れを汲む劇団じゃないか。しかもあんな愚連隊だか太陽族だか分からないような、不良の兄が居る子を入れるわけにいかないよ」と言っていたことを教えてくれました。

なつと信哉(工藤阿須加)は驚きながらも、咲太郎がそんなに深いことまで考えて新劇をしているとは思えないと口を揃えます。咲太郎が大好きなムーランルージュが「赤い風車」という意味なので、赤い繋がりで「赤い星座」に入ったのではと推理しました。

咲太郎の所属している劇団に問題があるとされ、咲太郎自身も不良と誤解されたことで、なつの試験に影響が出たのです。「誤解だとしても、それじゃレッドパージじゃないか」と仲は顔をしかめました。

大杉社長が難色を示したプロレタリアとは?

プロレタリアとは、労働力をお金のある人に売って、お金を稼ぐ人のことを言います。当時は小作人や、工場で働く人、今ではサラリーマンですね。人々を、労働者(プロレタリア)と資本家(ブルジョワジー)に分ける考え方です。

まず、プロレタリア文学という、最下層で働く人の苦しさを描く本が書かれるようになります。小林多喜二の「蟹工船」は有名ですね。下っぱの労働者が苦労してる姿を演劇にすることで、たくさんの人に影響を与えて、現状を変えようとする運動が「プロレタリア演劇」です。蟹工船も演劇になっています。

プロレタリア演劇は、なぜ大杉満社長(角野卓造)に怖がられた?

1920年代から30年代にかけて、ドイツ、日本、アメリカなどで演劇運動が流行りました。世界的な不況と、ソビエト革命の影響を受けて盛り上がりました。

「ソビエトが共産主義を始めたから、日本もそうしたら豊かになれるはず、演劇を通じて考えを広めよう!」そんな感じです。

戦争に向かっていた日本は、国の思想に反する運動をする人をどんどん逮捕するようになりました。現状をひっくり返そうという人たちですから、危ないと思われたんでしょうか。1933年に小林多喜二が警察によって殺され、たくさんの人が捕まり、演劇も弾圧されます。

咲太郎(岡田将生)が大杉満社長(角野卓造)と会ったのは、1956年で戦後10年ほど経っているんです。ただ、国や企業など、大きな資本に立ち向かう活動をしていると思われ、大杉社長は怖がったのかもしれないですね。このあとのレッドパージという出来事もあって、社会から共産主義の考え方を排除しようという流れが起きたのも、大きな要因と思われます。

咲太郎(岡田将生)の喋り方は江戸っ子風で、感情的なところも多いし、髪型もリーゼント風ですし、いきなり声をかけられたら威圧感ありますよね。

レッドパージ(赤狩り)とは?

ノベライズ版で、咲太郎(岡田将生)のせいで、なつが不採用のなったことを、仲努(井浦新)が「まるでレッドパージじゃないか!」と言います。

戦争が終わると、アメリカのマッカーサーという人が、日本のリーダーになりました。昭和25年(1950)にたくさんの共産主義者を、クビにするように政府や企業に指示を出します。それがレッドパージです。

共産主義を進めたい人が増えて、盛り上がりを抑えたかった

その時世界は、資本主義を信じる国と、共産主義を信じる国とで真っ二つに分かれて戦っていました。資本主義のアメリカは共産主義が広がるのを防ぎたかったのです。政府や会社が一方的に公務員、労働者、ジャーナリストの共産主義者を解雇しました。1万人以上とも言われています。

咲太郎(岡田将生)が大杉満(角野卓造)社長に目をつけられたのは、この思想の名残でしょうか。なつがアニメーターの試験を受けたのが1956年なので、そういう目で見られたのでしょう。

社長がなつを不採用にした理由をまとめると?

なつが試験に落ちた理由は、劇団が共産主義を信じていたため、危ない存在だと誤解されたから!と言えます。

難しい言葉が満載でしたね。私も調べていてやっとその時代の背景が分かってきました。考え方次第で仕事につけなくなったり、クビにされたりすることがあった時代だったんですね。

咲太郎(岡田将生)の夢はムーランルージュを立て直すこと、なつ(広瀬すず)はアニメーターになること。2人が東京で夢を叶えられるか、今後に注目ですね。

『なつぞら』関連記事

咲太郎の仕事サンドイッチマンとは?

赤い星座の女優・亀山蘭子

『なつぞら』総まとめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です