萩原健一さん死去!通夜や葬式はいつどこで行う?現在の嫁(配偶者)やショーケンの死因についても




2019年3月28日、俳優の萩原健一さんが亡くなっていたことが解りました。

報道によれば、萩原健一さんは2019年3月26日に都内の病院で亡くなられたとのこと。まだ68歳と言う若さでした。

数々の映画やドラマで私たちを楽しませてくれた萩原健一さんのこれまで、そしてお通夜や葬儀の情報、配偶者のことをまとめました。

萩原健一さんが死去…突然の訃報にSNSにも悲しみの声

2019年3月28日、速報で「萩原健一さん死去」のニュースが伝えられると、SNSには驚きと悲しみの声が広がりました。

現在までに出ている報道によると、萩原健一さん(本名:萩原敬三さん)は、3月26日の10時30分に都内病院で亡くなられたとのこと。享年68歳。

亡くなった原因は「GIST(消化管間質腫瘍)」という病気によるもので、2011年から闘病生活をしていたそうです。本人の強い希望から、病名は伏せていたそうです。

既に葬儀は近親者のみで執り行われており、28日の夜に事務所の発表で訃報が伝えられました。

2018年までテレビ出演をされていたこともあり、突然の訃報はファンを驚かせ、同時に大きな悲しみを与えています。

平成から時代が変わる寸前に、また名俳優が一人旅立ってしまいました。まだ68歳とお若く、年を重ねてこその演技を見せてくれるだろう…と多くの方が期待した中、あまりに悲しい報せです。

また詳しい情報が入り次第、追記をしていきます。

ショーケンの死因は「GIST(消化管間質腫瘍)」

萩原健一さんの死因は、「GIST(消化管間質腫瘍)」という病気であったことが報道されています。

萩原健一さんは、2011年より「GIST(消化管間質腫瘍)」を患い、人知れず闘病生活を送っていました。病気のことを公表しなかったのは、本院の意思だそうです。病気が発覚したときに手術も行けていますが、それも公表していません。

亡くなる前の週に体調を崩し、そのときに診察を受けていたそうで、医師には「月曜日にまた診察を受けるように」と言われていたそう。医師の指示通りに、萩原健一さんは25日に病院に行こうとするものの、自宅で倒れ緊急搬送に。

そのまま、3月26日の午前10時30分に息を引き取りました。

萩原健一さんの葬儀はすでに執り行われた?

萩原健一さんの強い希望から、葬儀は近親者のみで3月27日に執り行われたことも報道されました。「(葬儀は)派手にやるな」という故人の遺志を尊重した形です。

萩原健一さんの所属事務所も、28日になって初めて訃報を知ったそうです。26日に亡くなった萩原さんは、27日に近親者のみで荼毘に付され、そのあとに事務所に連絡、という形のようです。

見る限り、親しい友人に知らせてのお通夜もなかったようですから、本当に家族のみに見送られて旅立ったことになりますね。

萩原健一さんの妻がコメントを発表

萩原健一さん死去のニュースが報道されたあと、妻でありモデルでもあるリカさんがコメントを発表。

コメントには、萩原健一さんの強い意思で病気や闘病生活のことを知らせなかったこと、とても穏やかな最期であったことが記されていました。

また、リカさんが萩原健一さんの最期を看取ったことも報道されています。

3月26日に萩原健一さんが亡くなり、まだ幾ばくも時間が経っていない28日にこのコメントを出すのは、どれだけ辛かったでしょうか。「まだ心の整理がついていない」とも綴られていますし、静かに過ごせるようにマスコミには配慮をお願いしたいです。

萩原健一さんの奥様・リカさんについて

萩原健一さんは、3度の離婚経験があります。1975年には、モデルの小泉一十三(こいずみ・ひとみ)さんと結婚。女児を授かりましたが、3年ほどで離婚しています。

1980年には女優のいしだあゆみさんと再婚しますが、4年で夫婦生活を終えました。「いしだあゆみさんとは未入籍で、事実婚という関係だった」と発表するものの、2008年の自叙伝では入籍していたことを明かしています。

その後、女優の倍賞千恵子さんとの交際が報道されましたが、結婚には至らず。1996年にヘアスタイリストの女性と3度目の入籍がされましたが、2006年したと報道されました。

このように、結婚歴だけ見ても「萩原健一さんがいかに破天荒だったか」が解るのですが、4人目の妻・冨田リカさんとは穏やかな結婚生活を続けていたようです。

萩原健一さんの配偶者・冨田リカさんはモデルさん

冨田リカさんは、モデル業と教育カウンセラーの分野で活躍する女性です。1962年生まれの57歳(2019年3月時点)。萩原健一さんとは、実に22歳の年齢差があります。

冨田リカさんには二度の離婚歴があり、萩原健一さんとの結婚は三度目。

36歳と遅咲きでモデルデビューした冨田リカさんは、雑誌の対談で萩原健一さんと出会いました。意気投合した二人は、冨田リカさんの二度目の離婚から半年後の2011年に入籍。

お互いに離婚歴が複数回あることから、世間は「今回もすぐに離婚するのではないか」と噂しましたが、2人の結婚生活は非常に落ち着いたものだったようです。

萩原健一さんは、冨田リカさんとの結婚に際して「ジェットコースターのような人生だったけれども、今後は2人でメリーゴーランドのようなゆっくりとした人生を歩みたい」と語っており、その言葉を忠実に守った結婚生活だったのでしょう。

冨田リカさんとの結婚以降は、一時期の破天荒な姿からは一転して物腰も柔らかくなり、周囲からは「ショーケンが変わった」と言われていたとか。

シンガポールで暮らしていたという報道もあり、本当にのんびりと結婚生活を楽しんでいたのでしょうね。

破天荒な役者・萩原健一さんの人生を振り返ろう

演技力が高い俳優さんとして知られながら、一方でスキャンダルや事件に事欠かない破天荒な俳優でもありました。

萩原健一さんは、1950年7月26日埼玉県生まれ。バンドをやっているときにスカウトされ、17歳(1967年)のときに「ザ・テンプターズ」というバンドで音楽デビュー。

3年ほどでバンドは解散し、1970年には沢田研二さん・岸部一徳さんらと共に「PYG(ピッグ)」というバンドを結成。音楽フェスに出演するなど精力的な活動をするものの、次第に映画監督になりたいという夢を持つようになります。

それから2年後の1972年、萩原健一さんに転機が訪れます。この年に制作された「約束」という映画で、萩原健一さんは助監督と務めるはずでした。が、主演俳優が降板してしまい、急遽萩原健一さんが代役を務めることになったのです。

奇妙な偶然でスクリーンデビューを果たした萩原健一さん。しかし、この映画での演技が高く評価され、俳優としての道を歩み始めることになりました。さらに「太陽にほえろ」のマカロニ役で人気が爆発。俳優としての地位を確実なものにしました。

その後には音楽活動と距離をおき、俳優として数々のテレビ番組や映画に出演。2018年には22年ぶりにシングルをリリースし、ファンを驚かせたことも。

遺作は、2018年にNHKで放送された「不滅のスクラム」です。闘病しながらも俳優業を続けてきたことは、役者という仕事を愛しているからこそでしょう。

事故・恐喝事件…お茶の間を騒がせた萩原健一さん

名俳優として知られる一方、トラブルが多い役者としても有名だった萩原健一さん。まさに「破天荒」という言葉通り、事故や事件を良く起こす俳優さんでした。

1984年に飲酒運転で人身事故を起こし、業務上過失傷害で逮捕されたことは、世間を驚かせたと言います。さらに1985年には、女優の倍賞千恵子さんとの交際を撮られたことに激怒し、出版社の編集者とカメラマンを暴行しています。この時は、書類送検と言う措置になりました。

その後にもまた交通事故を起こしたり、スタッフや出演者を殴ったことで作品を降板させられたり、とにかくトラブルに事欠きません。

作品を降板させられたときは、出演料の返還を求めて制作者側と揉め、暴力団の名前を使って恐喝未遂を起こしています(執行猶予3年の判決が出ています)。

近年にも、共演者だった俳優さんをイジメていたという報道があり、彼の行く場所ではことごとく事件が起こりました(この報道の真相は定かではありません)。

トラブルの多さから評価も割れてしまいがちで、世代によって彼の評価は変わると語る人もいます。また、事件や事故の多さから「誰もが支持する俳優ではない」ということも、また現実です。

事件や事故を肯定するわけではありませんが、萩原健一さんの様に破天荒な俳優さんと言うのは、もう出てこないかもしれません。好き放題暴れるけれども、カメラの前に立てば最高の演技を披露した萩原健一さん。好きなように生き、好きなように生きた彼は、最期は眠るように息を引き取ったと言います。

平成の終わりに、またひとつ大きな別れ…。名俳優さんがなくなるたびに、昭和の時代が少しずつ閉じていくような寂しさを感じます。萩原健一さんの豪快な演技を振り返りながら、昭和の思い出をひとつひとつ振り返ってみたいものです。

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