J.Y.Park(JYP/餅ゴリ)のプロフィールや経歴・名言から人柄まで徹底解説!

虹プロオーディション放送当時から、NiziUのメンバーと共に時の人となったJ.Y.Park。

テレビで一度くらいは彼の顔を見たことがあるのではないでしょうか? 

韓国芸能事務所JYPエンターテイメントの社長であるJ.Y.Parkは、オーディションに参加した少女たちに次々と金言を与え、視聴者を感動させましたよね。

そんなJ.Y.Parkですが、実は歌手であったり映画に出演していたり、会社系でどん底を味わったりもしている、超異色の経歴の持ち主です。

ここでは、NiziUを生み出したプロデューサーJ.Y.Parkのプロフィール、彼にまつわるエピソードを紹介しています。

J.Y.Parkって何者?JYPって何?今更聞けない基礎知識を徹底解説

J.Y.Parkは、韓国芸能事務所JYPエンターテイメントの社長です。もうこの顔も日本でおなじみになりましたね。

 
 
 
 
 
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JYPエンターテイメントを良く知らない人には、「TWICEがいる事務所だよ」と言うと解りやすいでしょうか。

NiziUのデビューから日本で知られたイメージですが、KPOP界隈では10年以上前から良く知られている人です。まずは、このJ.Y.Parkの簡単な経歴・人物像を紹介していきましょう。

常識人で優しいイメージのJ.Y.Park、その素顔はなかなかに型破りで破天荒な人物です。

J.Y.Parkのプロフィール

 
 
 
 
 
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  • 本名:パク・ジニョン(박진영)
  • 職業:韓国芸能事務所JYPエンターテイメント社長、プロデューサー、歌手
  • 出身地:韓国 ソウル特別市
  • 誕生日:1971年12月31日生まれ
  • 出身大学:延世大学校大学院政治外交学科修士課程中退
  • あだ名:餅ゴリ
  • 身長:185センチ

2回の結婚歴があり、現在の奥さんとの間に娘が2人いるパパです。

幼少のころ、家庭の事情で2年ほどアメリカに住んだことがあり、英語が堪能。

すでにJYPエンターテイメント社長&プロデュース業で有名なJ.Y.Park。しかし実は、彼の歴史は歌手から始まっているのです。

J.Y.Parkの経歴

1992年「パク・ジニョンと新世代」で歌手デビュー

時は1992年。大学院生として教師を目指していたJ.Y.Parkは、スカウトされたことで歌手デビュー。しかし、この時に発売した「パク・ジニョンと新世代」はまったく売れませんでした。そこで彼は、あらゆる芸能事務所のオーディションに挑戦するものの、ここでも落選続きだったそうです。

実はJ.Y.Park、のちに東方神起を輩出するSMエンターテイメントのオーディションも受けています。

 
 
 
 
 
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結果は落選。巷の話によれば、このときに「曲だけ売ってほしい」的なことを言われたそうですが、断ったそうです。当然ですね。SMもまさか、この青年がライバル社の社長になるとは思わなかったでしょう。

1994年 作曲家キム・ヒョンソク氏との出会いで人気歌手に

鳴かず飛ばずで苦しんでいたJ.Y.Parkでしたが、その諦めない精神が良かったのか、運命の出会いを果たします。なんと韓国で有名な作曲家キム・ヒョンソクに出会い、瞬く間に意気投合したのです! 

そこからは怒涛の展開! キム・ヒョンソクの家にお世話になりながら、音楽理論を学んで力を蓄えました。

そして1994年、J.Y.Parkの名前で歌手デビュー。セクシー路線の歌手で人気を集めるようになりました。

1997年 貪欲すぎるJ.Y.Park、プロデュース業へ

歌手として成功を納めたJ.Y.Parkは、1997年に「テホン企画」という後のJYPエンターテイメントの前身となる会社を発足。

彼には特にプロデューサー業が向いていたのか、のちに人気歌手・俳優として名を馳せるRain(ピ)をはじめ、WonderGirls、MissA、GOT7、TWICEなど、多くの人気アイドルを輩出することになります。

その成功を経て、2001年にはJYPエンターテイメントに社名を変更。コスダックへの上場も果たしました。

2007年 歌手活動を再開 

しばらくはプロデュース業に専念していたJ.Y.Parkですが、2007年より歌手活動を再開させています。

ちゃんとCDを出して、音楽番組にも出ています。あれだけ有名な会社の社長&プロデューサーが!

こちらは2019年に音楽番組に出演したときの有名な映像です。めちゃくちゃ歌もダンスも上手いです。所属アイドル並み。筋肉ゴリゴリ。

このライブにはちょっとした裏話も。JYPエンターテイメント所属のGOT7メンバー、ジャクソンは、社長のあまりのキレキレダンスにびっくりしたのか、会場でこの表情。

このジャクソンの表情が話題を呼び、韓国ではトレンドを席巻。J.Y.Park自身もインスタにジャクソンのこの表情をアップしています。

 
 
 
 
 
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ちゃんと音楽番組でも存在感を見せる現役歌手です。

2020年 When We Discoでカムバック!

2020年には、新曲When We Discoでカムバック!80年代や90年代のJPOPみ懐メロみあふれる楽曲です。

後述していますが、J.Y.ParkはJPOPの影響を受けて育ったことを語っています。この曲からもそれがしっかり伺えますね。

J.Y.Parkが大事にしている3つの価値観

虹プロを通して、J.Y.Parkが大切にしている3つの価値観が語られましたね。

  • 真実 人柄を偽らないこと。カメラがあるところでできないことは、どんなところでもしない。
  • 誠実 真摯に練習に励むこと。その小さな積み重ねが夢へとつながる。
  • 謙虚 自分の未熟さを知ること。周囲の長所に目を向け、常に感謝をすること。

この言葉は視聴者の胸を打ち、SNSでも非常に話題となりました。

歌手としてデビューしたJ.Y.Parkが、プロデューサーや社長としても成功することができたのは、まさにこの価値観を胸に刻んでいるからでしょう。これだけの成功者が語る言葉には重みがあります。

J.Y.Parkの名言

虹プロでは、他にもJ.Y.Parkの名言が飛び出しましたね。いくつか振り返ってみましょう。

  • 才能がある人ではない。毎日自分自身と戦って勝てる人だけが、成功を納めることができます。
  • 過程が結果を作り、結果が成果を出します。
  • コンセプトを作る必要はありません。私たちはみんな、元から特別だからです。
  • 短所がないことより、特別な長所が1つだけあることが大切。
  • 人が見えないところを見えるようにするのが芸術です。
  • 自信と余裕を生み出すのは、練習量と自己管理。

あなたはどれを実践しますか?

J.Y.Parkの人柄やエピソードを紹介

優しくなったのは、JYPエンタ低迷期のおかげ?

虹プロで尊敬を集める金言を集めたJ.Y.Parkは、かつては「レコーディングのときは鬼のようだった」といわれるほど怖い人物だったと言います。トゲトゲした人物だったんですよね。

とっても怖いプロデューサーだったJ.Y.Parkは、どうして今のように優しい人柄になったのでしょう?

J.Y.Parkが今の優しさを得たのは、JYPエンターテイメントの低迷期を経てからと言います。

今でこそ華々しく輝くJYPエンターテイメントですが、実は経営難に陥ったことがありました。

JYPエンターテイメントは、2007年にWonderGirlsという女性アイドルグループをデビューさせています。

WonderGirlsは瞬く間にヒットし、韓国アイドルブームの火付け役になったと言われています。衣装から曲調まで、レトロ感あふれるコンセプトが人気でしたね。

韓国でのヒットを手に入れたJ.Y.Parkは、彼女たちをアメリカや中国へと送り出し、世界的アイドルに育てようとしました。が、結果は惨敗。

WonderGirls自体はとても良いグループでしたが、まだアメリカでKPOPは早すぎたのかもしれません。このアメリカ進出のために、J.Y.Parkは多額のお金をつぎ込んでいたと言いますから、失敗はかなりショックだったのでしょう。

この失敗の裏には、J.Y.Park自身のワンマン気質があったと言います。コンセプトから会社の方針から、すべてを自分の思い通りにしすぎたことが、失敗につながったと考えたそう。この失敗から学びを得たJ.Y.Parkは、会社のシステムを良くすることに力を注ぎ始めました。

社員たちが働く環境を改善し、アイドルたちのマネージメント方法も改めたそう。失敗に落ち込むだけでなく、そこから自分と向き合うことで成功を手に入れたのです。

スティーブ・ジョブズの死からJ.Y.Parkが学んだこと

2015年のJ.Y.Parkは、次の目標を「レーベルを10社持つこと」と語っています。

その理由は、「自分が死んでも存続できる会社を作りたい」という思いから。ここには、2011年に亡くなったスティーブ・ジョブズからの学びがあったと言います。

apple社を立ち上げたスティーブ・ジョブズが亡くなったとき、apple社の株価は半分にまで落ち込みました。この事態を見たJ.Y.Parkは、自分ひとりで会社を運営するのではなく、後進を育てなければならないと感じたそう。その決意からか、現在は自分以外の作曲家にもアイドルのタイトル曲を任せるようになっています。

KPOPファンには「餅ゴリ」の愛称で有名なJ.Y.Park

日本ではJ.Y.Parkという名前が浸透している彼ですが、KPOPファンの間では「餅ゴリ」の愛称で有名です。ここ10年くらいずっと、日本のファンにも「餅ゴリ」と呼ばれています。

今では普通に呼ばれているあだ名ですが、実はちょっと曰く付きの愛称なのです。

時は遡ること2001年のこと。まだまだバリバリ尖った男だったJ.Y.Parkは、自身のカムバアルバム「Game」のプロモでこんなことを言いました。

「セッ〇スはゲームだ」

※一応伏字にしますね

本人曰く、「行為を神聖化しない」という意味での発言だったそう。しかし、この発言があまりに衝撃的だったのか、韓国で彼は「セクゴリ」というあだ名で呼ばれることになってしまいました。ちなみに「ゴリ」は、ゴリラに似ているところから来たあだ名です。

しかしまあ、さすがにこのあだ名を放っておくわけにはいきませんよね。そこでJ.Y.Parkは、韓国で行為がお餅に例えられることを思い出し、テレビなどで「餅好き」をアピール。それが成功して、彼のあだ名はセクゴリから餅ゴリになりました。

J.Y.Parkにとっては災難な出来事でしたが、彼の頭の良さが伝わるエピソードです。

ちなみにGameはこちらのアルバム。彼はJPOPの影響を受けたと語っていますが、楽曲からそれが伝わりますね。

J.Y.Parkが社員のために作った「JYP BOB」食堂

2018年に完成したJYPエンターテイメントのビル最上階には、「JYP BOB」という食堂があります。

この食堂はJ.Y.Park自身が考案したもので、食材はすべてオーガニック。スープの塩分濃度まで表示されている超健康志向の食堂です。予約を入れれば、スタッフだけでなくアイドル・練習生まで無料で利用できるのだとか。

あまりに豪華な食堂のためか、韓国の番組でも特集を組まれるほど。

韓国料理定番のチャプチェから麻婆豆腐、豚料理、サラダなどが並べられ、それらをビュッフェ形式でお皿に盛って食べます。カフェ内には、1人で食事をする人がリラックスできるよう、窓を向いて食べられる席も設けられました。

J.Y.Parkがオーガニック食堂を作った2つの理由とは?

J.Y.Parkがこの食堂を作った理由のひとつは、自身がアトピー性皮膚炎&鼻炎に悩んでいたことから。

特に鼻炎の方は、歌手活動に影響を及ぼすほどだったそうで、治療のために食事を見直したそうです。オーガニック食材を使うようになったところ、アレルギー症状が改善されたため、社員たちにもこの食事をと考えたそうですね。

もうひとつは、練習生やアイドルを預かる立場としての親心です。

まだ中学生の練習生が、食事にカップラーメンを食べる姿を見て心が痛んだというJ.Y.Park。親御さんたちから子供を預かる身として、きちんと食事を採ることができるよう、無料で利用できるオーガニック食堂を思いついたそう。

練習生のほとんどは、デビューを手にすることなく会社を辞めていきます。それでも、会社にいるうちは自身の責任だと考え、無料で食堂を利用できるようにしているそうです。

「JYP BOB」にかかる費用は、なんと年間2億円! 

それでも、大事なスタッフたち&アイドルたちを思えば、惜しくはないと語っています。

J.Y.Parkが音楽を目指したきっかけは桑田佳祐?

虹プロでも明かしていたように、J.Y.Parkが音楽の道を志したのは大学に進学してからです。

J.Y.Parkが通っていた大学は、日本の慶應義塾に例えられる名門大学・延世大学。エリート街道を進んでいた彼が、どうして音楽のみちを歩むことになったのでしょう? 実はそこには、日本のとあるアーティストの存在がありました。

J.Y.Parkが高校生のころ、日本のKUWATA BAND(桑田佳祐さんのバンド)の「スキップ・ビート」に触れ、「アジア人でも黒人のブラックミュージックができる」と衝撃を受けたそう。同じアジア人の桑田さんの活躍が、J.Y.Parkに影響を与えていたのです。

それでも堅実な道を歩んでいた彼は、大学では地質学を専攻し、大学院にまで進んで教師になることを夢見ていました。が、スカウトを受けたことで歌手の道を目指し、「パク・ジニョンと新時代」でデビュー。ここから音楽の道を進むようになります。

今でも桑田佳祐さんを絶賛しているJ.Y.Park

今や時の人となったJ.Y.Parkですが、自身に多大な影響を与えた桑田佳祐さんのことを変わらず尊敬しているそうです。

NiziUのプロデューサーとして日本の番組に出演した際、桑田佳祐さんのことを「本物のソウルを持っている人。アメリカのアーティストにも全く劣らない」と絶賛。また、チェッカーズの「ジュリアの傷心」もお気に入りだと明かしています。

これだけ有名になったプロデューサーが、日本のアーティストに影響を受けていたというのは誇らしいですね。

実はSMAPに楽曲提供もしていたJ.Y.Park

意外や意外、J.Y.ParkはあのSMAPに楽曲提供をしていた過去もあります。ちょっとその経緯をお話してみましょう。

J.Y.Parkが音楽の道に入ったのは歌手デビューがきっかけですが、1997年にはJYPエンターテイメントの前身となる音楽事務所を設立。2001年には会社名をJYPエンターテイメントに変え、プロデュース業に力を入れるようになりました。

2003年にはアメリカ・ロサンゼルスに拠点を移し、メイスへの楽曲提供やウィル・スミスのプロデュースを手掛けています。また、2007年にはWonderGirlsのデビューを実現。彼女たちのヒットが、JYPを韓国名うての事務所に押し上げます。

こちらがWonderGirlsのヒット曲、『NOBODY』。J.Y.Parkも出演しているので見てみてくださいね。

このJ.Y.Parkの活躍を知ったかどうかは不明ですが、ジャニーズ側からSMAPに楽曲提供をしてほしいという依頼が合ったそう。2008年のSMAPと言えば、もう国民的アイドルとして定着していましたよね。そのSMAPにJ.Y.Parkが楽曲提供をしていたのは、ちょっとした驚きです。

J.Y.Parkが提供したのは、2008年に発売されたSMAPの42枚めシングル『そのままに。』に収録された、『White Message』。

2008年9月に発売された18枚めのアルバム『super.modern.artistic.performance』に収録された『stllU』です。

パン・シヒョクは元JYP社員!アメリカで一緒に暮らしていた

有名すぎるほど有名で、今更説明の必要もないくらいのお話ですね。

韓国四大事務所の1つ「BigHit」の社長パン・シヒョクは、元JYPエンターテイメントの元社員であり、J.Y.Parkのお友達です。

BigHitと言えば、ビルボード100で1位を獲ったBTS(防弾少年団)がいる事務所。お友達と言うより、師弟関係と言った方が正しいでしょうか。

こちらがおなじみのBTS。

 
 
 
 
 
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そしてこちらが、パン・シヒョク代表です。師弟関係ながら、J.Y.Parkと違ってあんまり前に出てきません。

引用:https://www.wowkorea.jp/news/enter/2009/0610/10202534.html

パク代表は、テレビ出演よりもデジタル戦略に力を入れ、BTSを成功に導いた立役者。BTSは韓国より先に日本で売れた印象がありますが、その戦略もパク代表の手腕によるものです。

当初のBigHitは十分な広告費用がなかったと言われているので、デジタルの方が何かと融通が利いたのかもしれませんね。また、日本活動で人気を得ることで、高い収益を目指せるという戦略もあったのかもしれません。とにかくめちゃくちゃに成功した人物。今や韓国で彼を知らない人はいないでしょう。

パン代表は、韓国の東大・ソウル大学を卒業し、父親は高級官僚と言う超超エリートです。

J.Y.Park、パン代表と靴下問題で決裂

そんなパク代表とJ.Y.Parkの出会いは、パン代表が作曲家を目指していたときにJ.Y.Parkがスカウトしたことから。

2人は近しい仲だったようで、アメリカの知人の家に住んで共同生活をしたこともあります。が、パン代表が何度も「靴下を裏側にして洗濯機に入れないように」と言ったにも関わらず、J.Y.Parkが守らなかったことで決裂。

怒ったパン代表は、アメリカにJ.Y.Parkを残して帰国。JYPエンターテイメントも辞めてしまったそうです。

そして会社を出たパン代表は、1人でBigHitエンターテイメントを設立。その後の成功はみんなが知るところです。

現在も進行があるらしいJ.Y.Parkとパン代表

2人のその後がどうなったのか、詳しくは語られていません。が、2016年の授賞式でパン代表が「プロデュースのすべてはパク・ジニョンから学んだ」と語っているので、関係は修復されているようです。

パン代表はJYPエンターテイメントにいたころから優秀だったそうで、J.Y.Parkは「今のJYPエンターテイメントがあるのは、パン代表のおかげ」と語っています。ちなみにこのパン代表、J.Y.Parkと違って結構な毒舌家です。

J.Y.Parkはバスケ好き!NBAファイナルの中継に参加

多才なJ.Y.Parkは、意外なところでも活躍を見せています。

その1つが、韓国で放送されたNBAファイナルの中継解説! 実はJ.Y.Park、マイケル・ジョーダンを非常に尊敬している大のバスケ好き。

 
 
 
 
 
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熱意が高じて2016年、2017年のNBAファイナル中継に参加し、どちらも好評を得たそう。その実績から、2020年もNBAファイナル2回戦の中継に登場することになりました。

ファイナルに登場したチームは、マイアミとLAレイカーズ。レイカーズは、2020年1月26日に「ブラック・マンバ」の愛称でも知られたコービー・ブライアントを事故で失っています。バスケ界のレジェンドと言われる彼のためにも、何としても優勝を勝ち取りたいシーズンでした。

どちらを応援するかを問われたJ.Y.Parkは、答えを明かすことなく「一緒に中継をするキャスターにだけ、こっそり伝える」と語りました。そしてこのシーズンは、10年ぶりにレイカーズが優勝しています。彼はどちらを応援したのでしょうね?

J.Y.Park主演で映画に出演も

才能あふれるJ.Y.Parkは、歌手活動・プロデューサー業・社長業だけではなく、映画主演にまで進出。

J.Y.Parkが主演を務めた映画は、2020年に公開された『ミリオネア・オン・ザ・ラン』。

J.Y.Parkが演じるのは、誰もが認める大企業に勤めるエリート部長ヨンイン。真面目に働いていたヨンインでしたが、上司の指示で500万ドルを届ける途中に襲撃されてしまいます! 

辛くもその場を潜り抜けたヨンインでしたが、襲撃の裏にいるのが上司と知り仰天。上司は500万ドルをヨンインに持たせ、そのあいだに殺害してお金を奪おうとしていたのです。

普通のエリート社員から、警察やヤクザに追われる犯罪者となってしまったヨンイン。彼は道中で出会った少女・ミリと出会い、破天荒な逃亡劇を始めるのでした。

ちなみにこの『ミリオネア・オン・ザ・ラン』は、VODサイトのU-NEXTなどで視聴できます。

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挑戦の男!J.Y.Parkこと餅ゴリのチャレンジはまだまだ続く

とにかく逸話に事欠かないJ.Y.Park、彼のエピソードを集めるとキリがありません。

ただひとつ言えるのは、彼の逸話の数だけ挑戦があったということ。その挑戦の数々が、彼をここまでの有名人に伸し上げたということです。

J.Y.Parkは決して成功だけの人ではなく、特に2009年からのアメリカ進出失敗は会社の経営難を招きました。人気のWonderGirlsがアメリカに行っている間に、韓国では少女時代をはじめとするアイドルが流行しはじめ、他の事務所に後れを取った時期もありました。

しかし彼は、そこで決して折れませんでした。失敗するたびに必ず何かを吸収し、次の成功に繋げてみせました。挑戦のたびに必ず何かを得たことが、彼の成功の秘訣なのかもしれません。失敗を誰かのせいにせず、常に自分と向き合い続けてきたことも、彼の強さなのでしょう。今後も彼は、臆することなく色んな挑戦を続けるはずです。

夢を追うことが難しいこの時代に、やっぱり夢を諦められない貴方。J.Y.Parkの生き方から学びを得てみませんか? 

歌手・プロデューサー・映画主演・作曲など、多くの可能性を広げているJ.Y.Parkを見ると、自然と夢を追うエネルギーが湧いてくるはずです。

NiziUのドキュメンタリー番組で、彼の様子も一緒に見ることができますので、ぜひ興味を持たれた方はご視聴下さい。

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