新天皇陛下はどんな人柄で名前は?即位時の年齢や誕生日は?皇太子さまと雅子さまとの馴初めや即位儀式を振り返る

5月1日に新天皇が即位となり、令和の時代が幕を開けました。新天皇として即位されたのは、これまで皇太子殿下だった徳仁さま。

誰もが知っている新天皇ですが、皇族なためにその素顔はヴェールに包まれています。しかし、皇太子時代の報道や情報をさかのぼっていくと、非常にお優しく温かい人柄であることが伝わってきます。

新天皇とはどんなお人柄なのか?皇后雅子さまとのなれそめは?新天皇のプロフィールや即位時の儀式と共に、解説します。

新天皇陛下徳仁さまのプロフィールは?

新天皇陛下のプロフィールを紹介します。

お名前:徳仁(なるひと)

皇族には名字がありません。お名前は徳仁(なるひと)さまとお呼びします。

皇族に与えられる称号は、浩宮(ひろのみや)。

家族構成:平成天皇の第一子であり長男

新天皇は、上皇陛下の第一子。天皇家では、長子である男子を筆頭に皇位継承権を持つため、平成天皇が即位されてからずっと皇位継承権第一位でした。

上皇陛下の御在位中は、皇太子(東宮)として公務を果たされています。弟は秋篠宮殿下こと文仁(ふみひと)さま、妹に清子さまがおられます。清子さまは、ご結婚と共に黒田清子さまを名乗られています。

妻は皇后雅子さま、お子さまに敬宮愛子内親王(としのみやあいこないしんのう)がいらっしゃいます。

ちなみに現在、皇太子は空位。現時点で皇位継承権第一位の秋篠宮殿下は、弟宮に当たるため、皇太子ではなく皇嗣(こうし)を名乗られています。

学歴:皇族で初めて大学や大学院を卒業されています

父である上皇陛下は、公務の忙しさから学習院大学の単位が足りず、進級することができませんでした。このため中退し、以後は聴講生として学業に参加しています。

上皇陛下は、生まれたときから皇太子というお立場だったため、それだけ公務を多く果たさなければならない事情がありました。

が、今上(新天皇)の場合、皇太子となったのは28歳のときです。このため、学問に励む時間が比較的多く取れ、57年には学習院大学を卒業されました。

その後、オックスフォード大学に留学もされました。

オックスフォード大学時代は自ら洗濯もこなしたそう

日本の立派なお住まいとは異なり、オックスフォード大学時代は隙間風も入る部屋での一人暮らし。しかも身の回りのことは自分でやらなければならず、アイロンがけや洗濯に苦労したというエピソードをお持ちです。

しかし、この時代は皇太子殿下にとって貴重な自由時間でもあったそう。お友達とご飯を食べたり、ビールを飲んだり、学生らしい楽しみを堪能されたそうです。

新天皇に即位されたときのご年齢と誕生日は?

皇太子殿下が即位された時の年齢は、59歳。

昭和35年2月23日生まれです。2019年からはこの日が天皇誕生日となりますので、ご注意くださいね。

新天皇陛下のプロフィールまとめ

  • お名前​:徳仁(なるひと)​
  • お誕生日:昭和35年2月23日​​
  • ご称号:​浩宮(ひろのみや)
  • 総裁職など:​日本赤十字社 名誉副総裁
  • ご学歴・経歴:
    昭和57年:学習院大学文学部史学科ご卒業​
    昭和58年~昭和60年:英国オックスフォード大学マートンコレッジご修学​​
    昭和63年:学習院大学大学院人文科学研究​科博士前期課程ご修了​​
    平成5年:平成5年6月9日に皇后陛下雅子さまとご結婚
    令和元年:2019年5月1日に第126代天皇として即位
  • お子様:平成13年12月1日に第1皇女子 愛子(あいこ)内親王殿下ご誕生

出典:宮内庁ホームページ

雅子さまに深い愛を示してこられた新天皇陛下

新天皇陛下といえば、皇后となった雅子さまに深い愛を示してこられたことで非常に有名です。

皇太子時代からの雅子さまとの出会い、そして現在までをまとめました。

出会った時から雅子さまに惹かれていた皇太子殿下

雅子さまは外交官の娘として生まれ、幼少のころはスイスやアメリカで過ごされてきた経験があります。さらにハーバード大学を卒業後、東京大学に入学した才媛でもあり、キャリア外交官として積極的に仕事をこなす優秀な女性でした。

皇太子殿下は、自身のお妃候補となる女性の理想として「価値観や趣味が合うこと、家柄よりも世間をちゃんと知っている女性であること。人の気持ちがわかり、必要なときはちゃんと自分の意見を言えること」と語っていました。

その条件と家柄を踏まえ、お妃候補に浮上したのが雅子さまでした。

二人の最初の出会いは、1986年にあったスペイン王室エレナ王女を迎えるためのパーティー。そこで皇太子殿下は、雅子さまに好意を持たれたと伝えられています。

その後、高円宮さまの配慮で二人は会うものの、雅子さまがご結婚に興味を示されなかったことや、家の都合で一度は破談に。皇太子殿下の結婚相手ということで、

しかし、それでも皇太子殿下は雅子さまをひたむきに思い続けていました。

「鴨場のデート」で雅子さまにプロポーズ

1990年、弟宮の秋篠宮殿下が紀子さまとご成婚されると、周囲は「皇太子殿下のお相手を決めなければならない」と焦り始めます。

自身の結婚を問われたとき、皇太子殿下は、再び「お相手は小和田雅子さんではダメですか」と関係者に尋ねました。このとき1992年、出会いから6年の月日が経っていたにも関わらず、皇太子殿下は雅子さまを思っていたのです。

実は、この間にもお妃候補が何人か選ばれていたのですが、皇太子殿下は雅子さまへの思いから断り続けていたとか。

周囲は再び雅子さまの説得に当たり始め、雅子さまのほうも以前とは違って結婚願望が出てきたことから、一度は会うことを承諾します。

宮内庁は、以前の失敗を踏まえてマスコミに報道協定を申し入れます。あまり過度に報道されると、お妃選びができなくなってしまいますからね。

そして1992年10月3日、細心の注意を払って皇太子殿下と雅子さまは再会を果たし、護衛もつかない環境で鴨場を散策。そしてこの場で、皇太子殿下は雅子さまにプロポーズをします。

「外交官の仕事も皇族の仕事も、国を思うという意味では変わりがないはず」とまで言ったそうですから、皇太子殿下の雅子さまに対する思いは本物ですよね。

「僕がお守りしますから」の言葉が雅子さまを変えた

とはいえ、雅子さまはその場で返事をしませんでした。「しなかった」と言うより、「できなかった」が正しいかもしれません。

雅子さまは、皇太子殿下の優しくて誠実な人柄に惹かれていたものの、外交官を辞めて皇室に入るという選択は難しく、思い悩まれていたそう。皇室に入れば、行動の自由はなくなってしまいますからね。

宮内庁の関係者は、雅子さまのご親族に説得を続けていました。しかし当の皇太子殿下は、雅子さまに返事を迫るようなことはせず、ゆっくり考えてほしいと待つ姿勢を崩さなかったとか。

仕事を休むほど思い悩まれていた雅子さまですが、皇太子殿下が電話で「皇室に入られることには不安もおありでしょうが、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」と言ったことで結婚を決意。

こうしてお二人は晴れて成就し、ご成婚となったのです。

雅子さまに思いを寄せながら、決して無理強いをしなかったところに、皇太子殿下のお人柄が偲ばれます。また、他に勧められた女性がいても、ひたむきに雅子さまを思い続けられたところも素敵です。

当時の雅子さまは、キャリア外交官というだけでなく驚くほどの美しさで、世の女性から圧倒的な支持を得ました。

ウエディングドレス姿は、まさにプリンセス。パレードの際の笑顔がまた素敵です。ティアラがよくお似合いになりますね。

適応障害になられた雅子さまを守り続けました

しかし、皇室の暮らしは雅子さまにとって楽なものではなかったようです。2003年に体調を崩して入院された雅子さまは、精神科で「適応障害」という診断を受けました。

お世継ぎのために男児を!というプレッシャーや、その他の事柄が雅子さまを苦しめたと思われます。雅子さまは一度流産も経験しておられ、ようやく授かった愛子さまも娘ということで否定される動きがありました。今の世であれば、雅子さまのご心痛に寄り添う女性はたくさんいたのではないでしょうか?

そして2004年、皇太子殿下は欧州訪問の記者会見にて、こう語ります。

「外交官の仕事を断念して皇室に入り、国際親善が皇太子妃の大切な役目と思いながらも、外国訪問がなかなか許されなかったことに大変苦労していました」

「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です

この発言は国内外から物議を醸しました。が、皇太子殿下にしてみれば、結婚前に言った「全力で守る」という言葉を実践しただけなのかもしれません。皇太子殿下のこのお考えは、やはり今の時代であれば良く理解されたかもしれません。

娘の愛子さまが飼っている犬に関するエピソード

娘の敬宮愛子さまは、非常に動物がお好きなことで有名です。

そのせいか、公開されるお写真も猫や犬と映っていることが非常に多いです。那須御用邸で取材に応じられたときも、皇太子殿下は犬を連れていましたね。

もともと愛子さまは、雑種犬のピッピとまりという犬を飼っていました。が、そのうちピッピが老衰で亡くなってしまったのです。

そんなときに出会ったのが、動物病院に預けられた犬の由莉。捨てられたあとに保護され、飼い主を探されていたところを、皇太子殿下が愛子さまのためにと譲りうけたそう。

由莉がやってきたのは2009年、生後二か月のとき。愛子さまはこの犬をとてもかわいがられているそうですよ。動物愛護が広まる前から、こうして捨てられた犬を保護されていたところに、殿下の聡明さを感じます。

保護猫も飼われている愛子さま

愛子さまのお膝の上にいる、可愛い猫ちゃん。この映像が配信されたとき、SNSでも「愛子さまも猫も可愛い」と話題になりましたよね。

この猫は「セブン」という名前で、やはり動物病院で保護されていたところを引き取ったとか。犬だけでなく猫までも…!

また、敷地内で出産した猫のみーを引き取り、育てたことも。愛子さまのお優しさは、きっとご両親譲りでしょう。

皇太子から天皇になる儀式について解説!

5月1日に新天皇が即位し、令和の時代が幕を開けました。

その際に行われた「即位の礼」で行われた儀式について、簡単に解説していきます。

剣璽等継承の儀

天皇しか持つことが許されていない、三種の神器などを受け継ぐ儀式のことです。

この儀式は、天皇が天皇であることを示す非常に重要な場面です。

三種の神器とは、「八咫鏡(やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」の3つの神器のこと。このうち、最も神聖と言われているのが「八咫鏡」と言われています。

三種の神器は、天皇さえ触れたり見たりすることは許されないため、どんな形をしているのかは誰にもわかりません。また、勾玉以外のものは「形代」と言って霊力を込めたものであり、草薙剣の本物は名古屋の「熱田神社」に、八咫鏡は伊勢神宮の内宮にあります。

「剣璽等継承の儀」で登場した三種の神器は、草薙剣と八尺瓊勾玉。鏡がなかったことについては、鏡が神聖で動かせないという説と、現在の天皇の立場に配慮してという説があります。これは憲法に関わる問題ですね。

ちなみに、儀式が行われたのは5月1日の10時30分ですが、日本政府は「5月1日の0時に、新天皇に継承されている」という形をとっています。なぜかというと、天皇になるには三種の神器の継承が必須なため、儀式を待っていると天皇不在の期間ができてしまうため。

なので、4月30日11時59分までは平成天皇のもとにあり、5月1日になったと同時に新天皇に継承されたという形にしているのです。

「即位後朝見の儀」について

新天皇が三種の神器を継承すると、そのあとに「即位後朝見の儀」があり、国民に天皇に即位したことを報告します。

上皇陛下に振れたことでも話題となった、新天皇のお言葉を引用させていただきます。

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。

 この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

 顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御(み)心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

 ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。

引用:産経ニュース

お言葉の中では、上皇陛下が30年以上にわたって国民に寄り添われたこと、その思いが非常に真摯な思いであったこと、そして自分もそれに倣うという旨が示されました。父である上皇陛下を、非常に敬愛していることが伺える内容です。

また、上皇陛下が「退位の礼」で語った「世界平和」についても触れており、願うところは同じであることも伝えています。

会見はよく通る声でよどみなく、新時代の幕開けにふさわしい力強さがありましたね。

新天皇即位後からご公務へ!忙しい日々を送る徳仁さま

新天皇即位後から公務が始まり、お忙しい日々を送る徳仁さま。皇太子時代はあまりお声を聴くことがありませんでしたが、今後はいろいろな場面でお言葉を述べられると思われ、国民と触れ合う機会も増えそうです。

ただ、皇族がだんだん減少していることから、今後はご公務を減らされるのではないか?という予測も。皇族が減れば、それだけ公務が一人に集中してしまいますからね。

また、雅子さまのご体調も万全ではありませんので、体のことを一番に考えた公務参加となりそうです。今は適応障害への理解も深まっており、国民からも「ご無理のない範囲で」という声が多くみられるました。

上皇陛下や上皇后陛下は公務に積極的でしたが、昭和天皇の香淳皇后はそこまでご公務に同行されなかったと聞くので、それを考えれば不自然なことでもありませんしね。

新時代「令和」の幕開けと共に、新天皇がどのような皇室を作り上げていくのかに注目です!

※5月5日 当記事で「平成天皇」という表記を使っておりましたが、崩御された際に使われる呼び方であるため、修正いたしました。お詫び申し上げます。

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