ディープインパクト安楽死の原因や理由を社台スタリオンステーションが発表!史上最高馬へファンから「お疲れさま」の声

2005年に中央競馬のクラシック三冠を達成し、史上2頭目の無敗の三冠馬となったディープインパクトが、北海道安平町の牧場「社台スタリオンステーション」で急死したとホームページにて発表されました。

17歳で生涯を閉じた、伝説の史上最高馬の訃報に数多くのファンから「お疲れさま」の声が上がっています。

安楽死に至るまでの状況や、関係者の方達のコメント、ディープインパクトのこれまでの経歴などをまとめてみたいと思います。

ディープインパクトが安楽死に至った経緯は?

ディープインパクトは28日に今春の種付けを中断する要因となった、頸部の手術を受けました。

手術は無事に終了して術後は順調だったのですが、翌29日午前に立ち上がれなくなってしまったそうです。

30日の早朝にレントゲン検査を行ったところ頸椎(けいつい)に骨折が見つかり、回復の見込みが立たないことから安楽死の処置が取られました。

武豊さんから追悼のコメント

現役時の全14戦に騎乗した武豊騎手は

「体調が良くないと聞いていたので心配していたのですが残念です。私の人生において特別な馬でした。彼にはただただ感謝しかありません」

とディープインパクトを偲びました。

池江元調教師も驚きを隠しきれず

ディープインパクトの偉業を支えたのは、2011年に現役を退き、通算3275戦368勝、うち重賞で17勝を挙げた池江泰郎元調教師でした。

そんな池江泰郎元調教師もディープインパクトの急逝に

今朝、連絡を受けました。今年は20頭くらいしか種付けをせず、その後も大事にしてもらっていたと聞いたのですが…。

まさかこんなに早く逝くとは…。

思い出はたくさんあって、何を喋って良いのかわからない。この馬にはいろんなものをもらった。

僕にとっては宝だったね。競走馬としても種馬としても、最高の成績を収めていた。今は冥福を祈るだけ。もう少し長生きしてほしかった。

と沈痛な様子で話されたとのことでした。

池江元調教師は、ディープインパクトの他にも1994年にJRA顕彰馬に選出されたメジロマックイーン、日本生産馬として国際G1をはじめて制したステイゴールドらを管理した名伯楽として知られています。

ディープインパクトを現役時代に担当した市川明彦厩務員(現在は千田輝彦厩舎で厩務員)も

「種牡馬として日本の競馬界をリードしてくれましたし、日本の競馬を変えてくれた馬。ちょっと早過ぎますね。長生きしてほしかったです。残念です」

とコメントしました。

ディープインパクトの輝かしい経歴

これまでのディープインパクトの経歴をまとめてみました。

 

ディープインパクトの経歴

  • ディープインパクトは2004年12月に阪神競馬場でデビュー。
  • 全レースで武豊騎手とコンビを組み、異次元の末脚と称される瞬発力で勝利を重ねる。
  • 2005年に皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、史上2頭目の無敗のクラシック三冠に加え、天皇賞・春、宝塚記念、ジャパンカップなどG1を7勝。
  • 2006年フランスの凱旋門賞にでは3位に入ったが、後に禁止薬物が見つかり失格になり、同年の有馬記念を制して引退。
  • 通算成績は14戦12勝、重賞10勝(海外1戦0勝)、国内で負けたのは2005年の有馬記念のみであり、総収得賞金14億5455万1000円。
  • 2006年12月、現役を引退後に種牡馬となると、子ども達の獲得賞金でランキングを決める種牡馬(しゅぼば)成績は、12年から昨年まで7年連続で中央競馬のトップ、最多賞金獲得種牡馬のタイトルを獲得。
  • 2013年の日本ダービー馬キズナなどの5頭のダービー馬を送り出す。
  • 2012年から産駒は高額で取引され、今月北海道で行われた競り市では最高4億7000万円で購入。
  • 北海道安平町の牧場「社台スタリオンステーション」で種牡馬として生活を送り17歳で亡くなる。

現役から引退後までもすごい経歴の数々です。

芸能界からも訃報を惜しむ声が

SNS上でも数々の芸能人の方達から、ディープインパクトの訃報を惜しむ声が上がっています。

こちらにいくつか紹介したいと思います。

有名人の方達を初めとして、本当に数え切れない程のたくさんの追悼の投稿が届いています。

いかにディープインパクトが愛されていたかわかります。

ディープインパクトは日本競馬史上、最高の伝説の馬だったと思います。きっとこれからも多くの人達の記憶に残り続けるでしょう。

ご冥福をお祈り致します。

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