伊勢名物「赤福」の濱田益嗣(はまだますたね)会長が暴力団との取引発覚で電撃退任!代紋入り焼酎の販売に「反省がない」「伊勢ブランドに傷が」という声も

三重県伊勢市の名物で、三重県の代表的な土産物でもある「赤福」の会長が電撃退任をしていたことがわかりました。

退任理由は、指定暴力団との12年間にもわたる取引だということです。

取引を行っていた代紋入り焼酎の販売や、2017年に再任した会長について「反省がない」などという厳しい声も飛んでいます。

伊勢の名物を揺るがす衝撃の出来事についてまとめました。

伊勢名物「赤福」の会長が電撃辞任

ピンクの包み紙に覆われ、伊勢神宮の絵とともに「伊勢名物赤福」と書かれたパッケージ。

伊勢神宮のおひざ元で創業から300年、江戸時代から多くの旅人や観光客に親しまれてきたあんこ餅「赤福」の信用を揺るがす出来事が発覚しました。

2017年から赤福の会長を務めてきた濱田益嗣会長が、指定暴力団との取引を行っていたことが原因で、2020年1月16日付けで退任をしました。

濱田会長は2000年~2012年にかけて赤福関連会社の酒造メーカー「伊勢萬」にて、指定暴力団の代紋入り焼酎を製造・販売することを指示していました。

濱田会長は2007年に、30年以上赤福の製造日を偽造していたことが発覚し、責任をとって会長職を辞任。

2017年に会長職に返り咲いたばかりでした。

濱田益嗣会長は代々続く赤福10代目当主だった

濱田益嗣会長は、江戸時代から続く老舗和菓子メーカー「赤福」の10代目当主として誕生しました。

9代目である父が戦死したため、わずか生後9ヶ月で当主に就任しました。

23歳の時に株式会社赤福に入社すると、31歳で代表取締役に就任しました。

濱田会長は、生ものである赤福の販売拡大のため、テレビCMを制作したり、名古屋と大阪に製造工場を作り、業務拡大をしました。

大量生産が可能になった赤福ですが、賞味期限が短く、売れ残り問題が出てきたため、製造日の偽装を行ってしまいました。

濱田会長は赤福を伊勢名物として定着させていっただけでなく、伊勢神宮の前の通りを「おかげ横丁」として江戸時代末期の街並みを再現した観光地を誕生させました。

また、駄菓子で有名な「おにぎりせんべい」も濱田会長が設立したマスヤの商品です。

「反省がない」「伊勢ブランドに傷が」という声

濱田会長の二度目の辞任を知り、ネットでは「いつ復帰してたの?」「この人が害悪」といった声が上がっています。

赤福を伊勢名物として確立させ、伊勢の観光地の整備など地域貢献を多くしてきた人だけに、指定暴力団との長年のつながりはとても残念なニュースです。

以前から問題発言のあった濱田会長

濱田会長は、地元の有力者として尊大な態度が目立ち、これまでにも数々の問題発言をしてきました。

2007年に、JR参宮線を廃止し1000台規模の駐車場を作るように提案したり、同年に製造日偽装問題で退任するときには

「新会長は飾りもので、2、3年もすれば、自分が会長に復帰する。自由の身のいまの間に、関連会社をばんばん作る」

発言していました。

まさに、自由の身の時に指定暴力団の代紋入り焼酎を製造・販売していたので、やりたい放題だったことが伺えます。

また、おかげ横丁の建設経緯について

「外人は来てほしくない。いたらおかしいでしょ。来ないでくれとは言えないが、英語の表記をするような気づかいはしない」

と外国人に向けての差別ともとれる発言をしています。

2014年には社長職に就いていた息子の典保氏を退任させ、妻の勝子氏を社長に就任させました。

理由として、家族経営ではなく企業経営をしようとした典保氏と、従来の家族経営を重視した濱田会長の対立による解任と言われています。

家族経営の行方が心配される

家族経営ということで、現在の赤福の社長は濱田会長の妻・勝子氏が務めています。

濱田一族が大株主になっており、すべての実権を家族で所有していた結果の今回の辞任劇。

今後、赤福の経営はどうなっていくのでしょうか?

お土産物として人気の赤福なだけに、今回の出来事には衝撃が走りました。

ぜひ、赤福の味と伝統だけは守り抜いてもらいたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です